●南区アクティブカレッジの歴史体験で13日午後1時半に「太田田根子の伝説地」の「陶荒田神社と三ツ池」を訪ねました。泉ヶ丘駅改札口前に集合し講師の桧本先生やサポーターのMさん、Yさんと受講生19名が参加しました。泉ヶ丘プールを横切り田園公園内で班分けとレクチャーを受け散策を開始。
●陶荒田神社に着く途中の「辻之地区」での休憩で、地域に広がった稲作の水についての話をうかがった。見野山や堺東高校あたりから深井駅方面にかけて「ため池」が多く、ため池から「はねつるべ」等を使って水をくみ上げて水源としていたとの事でした。
●当日、「三つ池」周辺の水田ではコンバインによる稲刈りが行われていました。この「三つ池」は岸和田藩小出家の分家・陶器陣屋(陶器藩)の「小出三伊」らが舟遊びに興じたとも伝わっているとの事でした。
●陶荒田神社への途中で「上之だんじり」祭りについて「みやまえ橋事件」と言うエピソードについても話しがありました。又この陶器地区のだんじりは屋上でにらみを利かす「獅子噛(鬼版)」で大きな彫物が特徴の「上(カミ)だんじり」と呼ばれ、一方で岸和田が発祥とされる改良型を「下(シモ)だんじり」と呼ばれています。
●陶荒田神社は太田田根子命(おおたたねこのみこと)の子孫の荒田直(あらたのあたい)が祖先神をお祭りし、地名の陶巴(すえむら)と人名の荒田から陶荒田神社と呼ばれるようになった。平安時代の律令制度の「延喜式(えんぎしき)式内社」にも記載されています。
●太田田根子が第十代崇神天皇(すじんてんのう)の勅命により奈良の大神(おおみわ)神社をお祭りし世の中の乱れを鎮めたとされ、当初から陶巴(すえむら)-陶器郷-陶器村と呼ばれており、現在でも”陶荒田神社の杜”は「太田の杜(おたのもり)」「太田内(おたのうち)」と呼ばれています。
●また毎年10月第二日曜の例大祭には近隣の町々から「だんじり」の宮入もあり、大神(おおみわ)神社より代表が参列されるなど賑やかに行われるとの事。
参考
①「延喜式」は養老律令の施行細則を集大成した古代の朝廷運営マニュアル。内容が詳細で具体的なため、古代史の研究に不可欠の文献といわれています。当然ながら装束に関する記述も全巻にわたり豊富です。 延喜五(905)年、醍醐天皇が左大臣藤原時平に命じて編纂を開始した(平安大辞典より)。
②奈良の大神(おおみわ)神社(三輪大社)
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