大正10年淡路島で生まれ、戦後まもなく、、神戸の六甲道にお風呂屋さんを昭和30年ごろまで経営されておられた。風呂屋さんは長時間の厳しい労働で、毎日忙し中で、趣味の写真を生かしてカメラ店を営まれておられたそうです。風景写真が得意で写真コンテストに応募して賞を受けられても家族にさえあまり話されないほど地味で恥ずかしがり屋のシャイな方です。 その後は、本業の機械設計の技術者として過ごされ、几帳面で、鉛筆の削り方にも拘りを持たれていたそうです。92歳で天寿をまっとうされました。
One Response to “Oさんが語る“お父さん””
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kunisan
ありがとうございます。短時間で、父の感じがでてましたよ。