三朝温泉残照

三朝温泉にて」(6月18日投稿)において少し書き残していたことがありました。それは「かじか橋」の左岸にある木下利玄(としはる)の歌碑です。案内板には次のような説明文がありました。    「・・・明治19年岡山県に生まれる。・・大正14年没。・・・ 利玄は二人の子供が夭(わか)く死んだので、妻をなぐさめ健康回復のために、万事をなげうち大正5年6月東京から旅にでました。山陰道を人力車で旅を続け、9月下旬に三朝温泉にきました。・・・」と記されています。歌碑には次の歌が刻まれていました。

「 仕事をへつかれいたはる百姓と

  あたまをならべ外湯に入るも    木下 利玄 」

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利玄が山陰道を人力車で旅をした大正時代の三朝温泉を想像してみる。今は旅館や道路・施設等開発されてきたが、三朝川はその頃とあまり変わらないであろう。当時の「百姓」が野良仕事をして、外湯(株湯?中湯?)に入り汗を流し落とす様子が浮かんできます。「ああいい湯だ。今日も一日仕事をしたぞ!」と言う声が聞こえてきそうです。(写真:三朝川と河原風呂)

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かじか橋の中央には「足湯があります。その周囲の欄干の柱に、歌詞がプレートされていました。与謝野晶子、寛の他に、田山花袋(明治4年~昭和5年)の歌があります。

「三ささ川きよき流れをわれとめて

 おくのいでゆに一夜ねにけり    田山花袋(大正12年6月)」

( 写真左:歌碑 、 右:かじか橋と足湯 )

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コメント / トラックバック1件

  1. nomi19 より:

    三徳山三仏寺・米田君へ
    毎日暑い日が続きますね。新日本海新聞への記事掲載の件
    ありがとうございます。
    また「里みちこ詩がたり展」のお知らせありがとうございます。
    8月2日午後3時頃、私も行かせていただきます。当日お会い
    するのを楽しみにしています。
     三徳山三仏寺のサイトで「役の行者」のアニメを見させて
    いただきました。骨太で、力あふれる画風が「役の行者」の
    念力を一層際立たせていました。すばらしい作品でした。
    コメント欄が見当たらなかったので、この場を借りてコメン
    ト致しました。
     暑さ厳しい折、体に気をつけてください。 たけぼうより

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