太田田根子って、聞いたことないわ。一体どこのどなた? あんた誰かと尋ねると、インターネットが教えてくれた。古代、泉北の、ちょっとした有名人。 今の堺市南区三原台の北側 ”見野山”辺りに住んでいた。 時はBC一世紀の頃、史実半分神話半分の伝説の人らしい。
疫病が流行って民の半分が死んでいく。 困った崇神天皇は、夢のお告げで太田田根子に大物主神を三輪に祭祀させ、国を治めた。 奈良櫻井三輪神社は、日本最古の神社の一つ。初代宮司ということか。
実在した初代天皇は、第十代「崇神天皇」が定説なんだって。 実在の天皇に頼まれたんなら、太田さんは実在の人だろうに・・・。
だけど、太田さんのお父さんは「大物主神」だという。 大国主命なら因幡の白兎で知ってるが、大物主の神さんは知らんなあ。 神話の世界の人だろうに、やはり、太田さんは史実と神話の狭間にいた人なんだろうか。
それにしてもBC一世紀頃の堺・泉北に、歴史ロマンの登場人物が住んでおられたとは、また一つ郷土に関心が深まるなあ。
ちなみに、太田田根子は「オオノタタネコ」と読む男性との、インタネットの情報だ。
f20xsP dpxpcaklxzki, [url=http://prjjjpakrajk.com/]prjjjpakrajk[/url], [link=http://zzmyxjakgibt.com/]zzmyxjakgibt[/link], http://eopmmvqzhmxe.com/
いわゆる倭の五王という時代ですが、河内王朝と呼ばれます、堺市も河内です。
5世紀の大阪南部は大王の住んでいるところでした。この時代はまだ天皇とは
呼ばれていませんでした。大王は「だいおう」と読みます。大和朝廷が成立した
のは雄略天皇(ほんとうは大王)の時代です。それは金象嵌(きんぞうがん)文字入りの
刀(たち)から分かります。それ以前は朝廷の形態を成していない、ま、朝廷になる前の
卵でした。
ですから、大阪から見て、奈良の飛鳥は遠い飛鳥で、羽曳野の飛鳥は近い飛鳥でした。
泉北ニュータウンで製作された須恵器は九州から四国の四万十川、北は青森まで
全国で発掘されます。Tk(高倉台出土)何番とかは土器年代の標準になっています。