最近、歴史にお詳しい先生方のお話を伺う機会があった。
そして驚いた。ボクの住む堺・泉北が、日本の中心的存在であった時期があると知った。
飛鳥時代、奈良時代は日本の昔である。 ところが泉北は、その2~3百年も前、古墳時代から平安時代にかけて約500年もの永きにわたり(あの永い江戸時代でさえも300年ない)、最先端技術でもって日本最大の須恵器生産の中心地であり続けたという。 有史時代が2000年しかない日本で、そのうち500年間、あることのトップが続いたとは、考えなくても凄いことだ。この間、日本各地から多くの人が泉北へやって来ていた。
また、16世紀の安土桃山時代、ヨーロッパで日本の地図が出版されている。その日本地図に書かれている都市名は、京の“都”と“堺”の二つだけだという。
当時、利権を求めて世界中を探し回っていた西洋人、堺へやって来て驚いた。堺の文化的先進性に目を見張った。金銀が豊富なことにも注目した。彼等は欲しいと思えば力づくでなんでも取り上げてしまう。あるいは植民地にするのが常套手段。しかし、堺をねじ伏せることはできないと見て、交易を望んだ。
世界事情に詳しい彼等が、かなり正確な地形を記した日本地図を作るにあたって、日本のあちこちを調べ上げたに違いない。 その結果が、京の都と堺を日本の代表と認めて記したものであろう。
かつて、堺・泉北は日本の中心的存在であったという、ボクがびっくりしたお話し。
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