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石見銀山はその「遺跡とその文化的景観」が世界遺産と評価され、なかでも銀鉱石の採掘法や間歩と呼ばれる採掘坑道や製錬に必要な薪炭用木材の森林への負担を少なく環境が維持されている事、また町並みの景観を保っている事や、また銀の産出量においても世界に影響を及ぼしたとされています。(資料)

初代石見銀山奉行の大久保石見守長保逆修墓逆修塚は、生前に自分の法名を付けて建てた墓のことで、功徳(くどく)が大きいといわれています

大久保石見守長保逆修墓

銀山遺跡には明治時代に大阪の藤田組が清水谷に近代的製錬所を建設したが不採算で操業停止した製錬所跡も残されています。

国の史跡指定された7つの間歩のうち、遊歩道沿いでは、秋のもみじの紅葉が綺麗な新切間歩や、入坑出来ませんが遊歩道沿いにあり入口の柵から覗ける福神山間歩が身近に体感できます。

新切間歩 もみじの紅葉が綺麗

福神山間歩は身近に体感

一般の人が見学できる坑道は「龍源寺間歩」と呼ばれるところですが、なかに入ると採掘坑道は低くまた左右にも更に小さな坑があり一人の体がやっと入る程の間歩が幾つも掘られていた様子が窺えます。内部には当時の様子を紹介したパネルが設置されていました。また内部の気温は13℃程度のとの事で、気温が高い夏場では防寒着がいるそうです。

龍源寺間歩の入口(有料)

旧家の続く町並みの景観、無料で見学も出来ました。

旧家の続く町並み

堺市の百舌鳥・古市古墳群は平成22年11月に日本の世界遺産暫定一覧表に記載されました。

4 Responses to “世界遺産の石見銀山遺跡を訪ねて(平成19年世界文化遺産登録)”

  1. aladdin

    akjさん こんにちは コメントありがとうございます。
    ブログCafeでお会い出来、元気そうなので安心しました。登録前に石見銀山に行かれたそうですね、私も、世界遺産の話が無かった頃に「島根農協」の仕事で2週間ほで出張した際に同僚と休日に行きました。当時は地元の観光地程度で寂しい感じの処でしたが、今回は家内と一緒に訪れましたがずいぶんと整備され、驚きました。ツアーで行った為、もっと行きたい場所もあったのですが・・・(^J^)。

  2. akj

    カフェでお久し振りに皆さんにお会いできてうれしかったです。
    石見銀山が世界遺産に登録されることを新聞か何かで知り、公表直前に行きました。その頃はほとんど観光客はいませんでした。間部の中もゆっくり歩けました。何もかもが人力なので、現代人には想像以上の苦労や困難があったと思います。特に休むことができない出てくる水のことが印象に残っています。今ではポンプを置きモーターを回せばいいが・・・。あの時は横田の日本古来のたたら製鋼法も見に行ったのですがやってませんでした。この辺りの銀(堺の商人が売りさばいたらしい)やはがねは堺(刃物や鉄砲の原料)と関係が深かったようですね。又遠くまで運転して行けるといいがなーと思っています。

  3. aladdin

    luckyさん こんにちは コメントありがとうございます。
    石見銀山が世界遺産に登録される以前に仕事の応援で島根県に行った時、石見銀山に行ったのですが当時よりかなり整備され驚きました。登録される以前の方が、ひなびた感じが有り趣がありました。ただ今回はガイド(ガイドセンターが有り)さんが居られたのでその点ではよかったかなと思いました。資料によると間歩が閉じられたのは昭和18年とされており、つい最近まで細々と開発が行われていたみたいです。ゆっくり観光するなら自分で車で出かけた方がいいような気がしました。帰ってからネットで調べたのですが事前に調べておけば良かったかな・・・・(^J^)。

  4. lucky

    こんにちは!
    石見銀山へ旅されたのですね。いいな~
    年中13度位の寒くて、日の射さない狭い所で銀の採掘をしていたのですか~
    大変な重労働ですね。いつごろまで採掘していたのですか?
    しっとり落ち着いた旧い街並みがいいですね。

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