♦ 過ぎ去りし 日々想いつ 亡き人の
五十回忌に しのび語らう
♦ つわぶきの 咲きて我が家の 狭庭辺(さにわべ)に
秋の気配の 深まりてゆく
菊
この投稿は 2010年11月19日 金曜日 8:55 PM に 母の短歌 カテゴリーに公開されました。 この投稿へのコメントは RSS 2.0 フィードで購読することができます。 コメントを残すか、ご自分のサイトからトラックバックすることができます。
御母上を懸命に介護され、天国に送られて娘の役目を果たされたのですね。 介護で接する濃密な親娘の時間の思い出は、何年たっても忘れることはなく、心の中でお母様とお話されてるのでしょうね。
昨年12月は実母の6回目の祥月命日・7回忌でした。
6年過ぎた今も母に対する自責の念や、憤りや、哀れみは消えていません。
私の名前を呼び捨てにしてくれる人がいなくなった今、ようやく母の存在が真実のものとなりつつあります。
介護に通っていた頃を思い出します。
。゚(●゚´Д)ノ。゚ヽ( )ノ゚。ヽ(Д`゚●)ノ゚。。゚ヽ(●゚´Д`゚●)
『母を看る 娘の顔が修羅となり』
『来月は いつ来てくれるのと 手を合わせ』※母の心情
『母の背を 流す娘の目に涙』
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御母上を懸命に介護され、天国に送られて娘の役目を果たされたのですね。
介護で接する濃密な親娘の時間の思い出は、何年たっても忘れることはなく、心の中でお母様とお話されてるのでしょうね。
昨年12月は実母の6回目の祥月命日・7回忌でした。
6年過ぎた今も母に対する自責の念や、憤りや、哀れみは消えていません。
私の名前を呼び捨てにしてくれる人がいなくなった今、ようやく母の存在が真実のものとなりつつあります。
介護に通っていた頃を思い出します。
。゚(●゚´Д)ノ。゚ヽ( )ノ゚。ヽ(Д`゚●)ノ゚。。゚ヽ(●゚´Д`゚●)
『母を看る 娘の顔が修羅となり』
『来月は いつ来てくれるのと 手を合わせ』※母の心情
『母の背を 流す娘の目に涙』