“須恵器の謎”を解く

●12月19日(日)、南図書館(堺市南区茶山台)主催の「地域講座」がありました。「日本最初の陶磁器・須恵器の謎」と題した、森村健一氏(堺市立すえむら資料館)の講演を聞きました。

南図書館

●森村氏は、泉北ニュータウン周辺の丘陵地において約1550年前から須恵器の生産が始まり、その後平安時代に活動停止するまで500年間日本最大の須恵器生産地であったという。「陶邑(すえむら)窯跡群」と呼ばれ、窯跡数が約1000基あり、須恵器2585点が重要文化財に指定されています。陶邑というのは『日本書紀』の「茅淳県(ちぬのあがた)陶邑」から名づけられたとのこと。

「須恵器の謎」講演

●注目したのは、従来「登窯」としていた表示が「窖窯(あながま)」に改められたことでした。それは山の急斜面を掘り込んで、窯を造ったことに由来するとのこと。「登窯」が地面から造るため、窯にヒビが出来易く、空気が入り込み「酸化焔」となります。それに対して、「窖窯」は空気を遮断するため「還元焔」になり、より堅くて丈夫な須恵器の生産が可能になったと言う。

栂TG61号窯

●講演終了後、大蓮公園にある「堺市立すえむら資料館」へ見学に行きました。途中、移築復原された「栂TG 61号窯」の説明がありました。館内では、初期須恵器の展示コーナーから、年代ごとの第Ⅰ形式(5世紀頃)~第Ⅴ形式(平安時代頃)までの須恵器が展示されていました。又、森村氏から丁寧な説明があり、受講者の人達も遙か古代の陶邑に思いを馳せて、熱心に聞き入ってました。(参照:2009年11月26日記事)

パンフレット

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