●適塾を見た後、北浜界隈を歩いてみた。その隣りには大阪市立愛珠幼稚園(北浜3丁目)があります。1880年(明治13年)に我が国で3番目の幼稚園として開園されたという(国の重要文化財)。この場所は江戸幕府の「銅座」(オランダ貿易に必要であった銅を管理する所)であったとのこと。それを記す石柱が入口にある。重厚な門構えと建物は現在も使用されている。
●高麗橋通~伏見町通へと南へ下る。所々にあるレンガ造りの商館や昭和の建物を眺めながら、道修町(どしょうまち)に出た。“くすりの町”として江戸時代から栄え、武田・田辺・塩野義・・等の製薬会社・発祥の地である。
●その道修町通りの中に「くすりの道修町資料館」(道修町2丁目)がありました。ビルの小ぢんまりしたフロアに、道修町の歩みを江戸時代の「薬種中買仲間」の結束と繁栄の様子、「現在から未来へ」など資料・パネルを展示している。 そのビルの隣りに「少彦名(すくなひこな)神社」があった。道修町の薬種業者の守神(神農さん)として親しまれているという。狭い境内ではあるが、風格ある本殿と社務所が鎮座していた。