投稿者「horichan」のアーカイブ

だれも知らない明治時代

5月14日付読売新聞文化欄をなんとなく見ていると「近代日本の洋風建築」の紹介本があり、 「著者によって歴史が復元された邸宅が、今や旧岩崎邸庭園、東京都庭園美術館などとして公開され・・・」 という記事があった。旧岩崎庭園は […] 続きを読む

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だれも知らない明治時代 7

明治時代6で松岡眼病院を出しましたが、今回は石原時計店の銅版画をご覧ください。 銅版画は、第2代目の店で大阪の南久宝寺町にありましたが、私が昭和32年に転勤で大阪に来てからは、毎日淀屋橋交差点に ある石原時計店ビルを見て […] 続きを読む

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今年最初のブログ

一年毎に歳が一つ増えるので、ボランティアを一つやめることにした。 7,8年続いた西原公園の並木道清掃だ。秋冬になるとケヤキの落ち葉で大変だった。 正月は、3が日のいつか一日に、真言宗ではないにに高野山へ出かける。 今年は […] 続きを読む

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だれも知らない明治時代 6

今回は大阪市の銅版画(1)松岡小太郎眼科病院を紹介します。 明治時代には大阪市今橋5丁目(地番変更で4丁目)にあった松岡眼科病院です。この病院は初代日本銀行大阪支店の跡にでき、明治28年まで繁昌していましたが、郷里の四国 […] 続きを読む

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だれも知らない明治時代 5

今回は銅版画の歴史を簡単に述べてみます。私自身は千葉県立博物館の学芸員や埼玉県立文書館の司書の方などに教えていただいたもので、偉そうには言えません。 幕末に、ヨーロッパから銅版が入ってきて、亜欧堂田善などで日本でも銅版が […] 続きを読む

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私と泉北ニュータウン

私が泉北ニュータウンに住むようになったのは、泉北高速鉄道栂・美木多駅が開業した4か月後の1974年3月で、その後4年間は始発駅にゆっくり座っての楽な通勤であった。 当時、私の住む桃山台2丁は、入居者が全体の3分の1くらい […] 続きを読む

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だれも知らない明治時代 4

明治時代2に祥雲寺の銅版画写真が入っています。 明治時代3には、堺の銅版画写真を忘れたので、説明だけで終わっていますので、 今回は、写真中心に作りました。 日本博覧図第12編 日本博覧図に入っていない妙国寺銅版画の一枚も […] 続きを読む

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だれも知らない明治時代 3

明治20年ころ、精行社発行の日本博覧図の銅版画が堺市には祥雲寺の1図だけあります。 日本博覧図第12編には載っていませんが、A1サイズで微細に刻んだ祥雲寺と妙国寺の精行社作成銅版画があります。 堺市立中央図書館には、これ […] 続きを読む

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だれも知らない明治時代 2

精行社の銅版画が大日本博覧絵とか日本博覧図という本になって12冊あります。その本の中には、日本全国では約2200画あり、大阪府内には4画あり、そのうち堺市の銅版画は祥雲寺が1枚だけあります。しかしこの画をよく調べると石版 […] 続きを読む

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だれも知らない明治時代(銅板画)

明治10年から明治30年にかけて、外国から銅版印刷が入ってきて全国で銅版画が作られるようになり、大阪では「浪華の魁」、京都では「都の魁」という本が作られ、関東中心では精行社という会社によって、全国20数都府県で約2200 […] 続きを読む

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