テレビだったかかラジオだったか忘れたが、夏休みの子供体験ツアーに「卵拾い体験」が含まれているコマーシャルがが流れている。私にはこの「卵拾い体験」がどうも引っかかる。それは、鶏はどこにでも卵を産むのではなく、ちゃんと巣の中に産むことを知っているからです。
戦後間もなくの頃、卵は貴重品であった。敷地に余裕があれば都会でも2羽3羽と空きスペースで飼った。わが家は田舎の農家であったので、軒下を金網で囲い簡易屋根を作って10羽余が入れる鶏小屋を2~3個所つくっていた。鶏舎?には夜眠る止まり木や水飲み場、餌箱、巣(50cm×50cm・高さ20cm程、中にワラを入れで中央を低くする。大体鶏舎の奥まったやや暗い様な所で、すぐ横に卵をとるために手が入るだけのふた付き穴を設ける。)などが備えられていた。午後入口を解放してやると一斉にカキの貝殻をたたき潰しておいたとこへ行き、争ってこの潰されたカキ殻を食べる。硬くて丈夫な卵の殻ができるそうです。いい加減外をうろつけば鶏舎に戻って止り木にとまって夜の準備。全部戻れば入口を閉めて子供の用事は終わりである。
一鶏舎には大体一羽のオスが入れられていて産れた卵は有精卵です。メスはどこにでも卵を産むのではなく、前述した巣に入って巣の中で卵を産みます。産むとすぐ鳴き声を発する。その声は「コケー コッ コッ コッ コケー コッ コッ コッ・・・・」しばらく鳴きいつの間にか鳴き止んでいる。この鳴き声を聞いてまだ温かい卵をよくとりに行きました。オスが朝一番に鳴くといわれる 「コケコッコー」 とはちがう鳴き方ですぐわかります。
ある期間すると 巣ごもり と言ってメスは卵を産まなくなる期間があります。この時に卵を抱かせると ひな をかえすことができます。
大規模養鶏が行われ、人の都合だけで鶏を飼っているので、鶏舎の中どこででも産卵するように思われそうですが、鶏も本来は コウノトリ や トキ の様に巣の中で産卵し ひな をかえしたりします。
ここまで書いてハタと思いました。実際に土を踏んだこともない鶏が何代にもわたって「品種改良」されてきた結果、どこででも卵を産むようになってしまったのだろうか と。もしそうだとしたら複雑な気持ちになります。 戦後間なしのころの農家の子供の用事として、にわとり担当だったころを思い出しながらつづってみました。
加地さん 猛暑のなか、お元気でご活躍のご様子なによりです。さすがわれ等が「加地さん!」です。
猛暑のなか、お元気でご活躍のご様子なによりです。さすが、「われ等が加地さん!」です。
私たち7期生は8月末で研修テストを終え、たぶん9月から活動をはじめます。
加地さんもいろいろお忙しいと思いますが、ぜひ次回9期生で復帰されますよう仲間全員でお待ちしています。
「にわとりは巣の中で卵を産みます」
とても懐かしく読ませていただきました。
私は大阪府南部の農村で生まれ育ちました。昭和20~30年代はほとんどが専業農家だったので、どの家でも鶏舎で10羽前後を飼っていましたよね。我が家は残念ながら農家でなかったのでにわとりは飼えなかったのですが、学校が終わるといつも友達の家のにわとりの世話をさせてもらいました。畦道で「ぎしぎし?」の葉を摘んできて細かく刻み、海岸で拾って置いた貝殻を叩いてつぶし、糠と水で混ぜ、細長く竹で作った餌箱にいれてやりました。あの時の青くさい葉の薫りと、糠のにおいが一瞬にして半世紀以上の時を経て鮮やかに戻ってきました。
遊ぶ道具もおやつも満足になかったけれど、みんなが貧しくとも支えあって暮らしていた、古き、よき昭和の時代を想いおこさせていただきました。
なお、私の記憶でも卵は巣箱で産んでいたように思います。
博物館仲間さんコメントありがとうございます。その後どこかのブログで品種改良の進んだ鶏はうまく子育て?ができず(卵をて蹴飛ばしたりして)失敗した。そこで京都の何処かの地鳥を手に入れて、孵化させ雛から親鶏に成長させることに成功したとありました。鶏も見るとか経験することで伝わっていくのでしょうかネー。