今回は銅版画の歴史を簡単に述べてみます。私自身は千葉県立博物館の学芸員や埼玉県立文書館の司書の方などに教えていただいたもので、偉そうには言えません。
幕末に、ヨーロッパから銅版が入ってきて、亜欧堂田善などで日本でも銅版が作られるようになった。
明治になって、商店や社寺の広告のために銅版を作る会社ができ、日本全国で銅版が作られた。大阪では「浪華の魁」、関東方面では精行社の日本博覧図の銅版集、九州では各県ごとに商家の銅版画集が作られた。明治30年になると写真が安価に簡単に写せるようになったために、銅版画は衰退してきました。明治時代の銅版画は約20年間だけのものです。
堺市の銅版画は精行社製作の銅版画で、これからはすべて精行社製作の銅版画で、15都府県、商家、会社、銀行、会社、学校寺社、邸宅など各種の建物の銅版画で進めていく予定です。