●松林寺を出て、街道を南に進める。楠町に入ると、交差点に大きな案内板が立っていた。それによると中高野街道は大阪市平野区から南下し、松原市、阿保、堺市美原区の舟渡池、菅生神社から狭山へと通り、ここで合流しているという。
●楠小学校を左手に見ながら進める。千代田駅~寺ヶ池公園の幹線道路を横切り、原町3丁目に入る。街道沿いには黒の漆喰壁の住宅が町並みを形づくっている。歴史の雰囲気を感じさせる。
●旧阿弥陀寺石造物群の「原町十三仏」(河内長野市有形民俗文化財)を拝み、国道310号線を横切り南へと下る。 長野保育園の隣りに「近江膳所藩代官所跡」の石碑と案内板があった。慶安4年(1651)膳所藩本多俊次が河内領を支配する為に設置したという。その敷地の一角に「九里石」の石柱と「行者堂」が建っている。石柱には安政4年3月と記されていた。
●「九里石」を下って行くと、街道は次第に河内長野駅前の商店街アーケードになっていた。「ノバティ長野」の横には「高野街道」の石碑が立ている。東と西の高野街道の合流地点を示していた。「高野山まで南約35km」との文字も彫られていた。
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こんにちわ。
高野海道は、昔と今の風景がマッチしていますね
お地蔵様の前ではなぜか手を合わせてしまいますね(これって私だけかな)
cbt さん、コメントありがとうございます。
おっしゃるように高野街道は地域の歴史でもあるように感じます。
街道筋のお地蔵さんは、どこも綺麗に飾られていました。
せちがらい世の中にあって、なかなか出来ないかもしれませんが、旅の安全を願った昔人のように「手を合わす」ことも気持ちが落ち着く方法かもしれませんね。~~