‘街道めぐり’ カテゴリーのアーカイブ

高野街道・余禄

2012年11月3日 土曜日

●高野街道の道端には、ちよっと新鮮なことや時代と共にさびれていた風景などが印象に残っています。河根地区の繁野集会所前・花壇にめずらしい「ホトトギスの花」が咲いていた。和歌山県の山間に自生している花だという。

ホトトギスの花

●桜茶屋手前の登り坂が続く街道脇に、野鳥の為にエサを置いている場所があった。群れを成したヤマガラが餌をついばんでいた。我々の集団に驚き、木々に隠れて様子をうかがっていた。(画像をクリックすれば拡大画面となります。ヤマガラは何羽でしょうか?)

ヤマガラの群れ

●観光ボランティアの人の話では地域の過疎化が進み、坂根小学校全生徒8名、来年新1年生1人であるという。坂根中学校は全生徒10人で、いずれ廃校になるにではと、心配していた。極楽橋に近い神谷地区には旧白藤小学校があった。数年前その役割を終え、校舎と小さな体育館が深い森の中にひっそりとしていた。

坂根小学校

高野街道・極楽橋へ(2)

2012年10月19日 金曜日

●昼食を終え、河根の「千石橋」を渡る。深い森の中に急勾配の作水(さみず)坂が壁のように続いている。街道きっての急坂で、昔は年寄りの背中を子ども達が押して、お駄賃をもらったとのこと。何回かの小休止をとりながら登ってゆく。やがて桜茶屋近くまできた。振り返ると河根地区とその向こうに和泉葛城山系を望むことが出来た。

河根と和泉葛城山系

 ●杉の木立やコナラ等の雑木林の中を登る。日本最後の「高野の仇討ち」場所に着く(標高520m)。明治4年(1871)赤穂藩のお家騒動が発端で仇討ちがあり、2年後の明治6年に仇討ち禁止令が出されたという。

「高野の仇討ち」案内板

●神谷地区に入る。花屋旅館跡と数戸の集落であった。昭和4年にケーブルカーや極楽橋駅までの電鉄ができるまでは、宿場町として大いに繁栄したという。ゴールの極楽橋駅に午後3時に着いた。標高538m、歩行距離10.9km。

花屋旅館跡