●9月15日(土)、「高野街道にぎわい再発見プロジェクト」主催の第5回高野街道・紀見峠駅~学文路(かむろ)駅までのウォークに参加した。南海高野線・紀見峠駅前で受付を済ませ、先頭グループとして出発する。駅前の集落を抜け、国道371号線を横切り高野街道に出る。幅1間位の道は山裾を縫うように下っている。街道の雰囲気がでてくる。
●やがて、「慶賀野蛭子神社」に着く。街道横の山裾にある。鳥居をくぐると、小さな祠が山の斜面に建てられていた。村の産土神として祀られているという。
●街道は国道と合流する。橋谷地区手前に「五里道標石」立てられていた。更に橋谷地区の町並みを抜け、「胡痲生(ごもう)相賀八幡神社」に立ち寄り、橋本市街地に入ってゆく。 狭い路地の奥に「応其(おうご)寺」があった。安土桃山時代から江戸時代初頭に真言宗の僧、木喰(もくじき)応其上人が再興したという。天正13年(1585)秀吉による紀州攻めに和平交渉の使者として、高野山を兵火から救ったとのこと。また塩市を始めて、現在の橋本の礎をつくったという。部屋をお借りして、昼食をとる。(感謝)
nomi19さんへ
暑い中をお疲れ様でした。
高野海道を載せて頂いてありがとうございます。
若いころは、子どもを連れ和歌山方面のハイキングを楽しみましたが、今はもう・・・
毎回楽しみにしてます。
高野山の山並みがきれいですね~。
cbt さんへ
若い頃、和歌山方面のハイキング楽しまれたのですね。
紀三井寺、新和歌の浦などありましたよね。
今回の高野街道は約13kmで、ちょっと長丁場となりました。
でも街道沿いの古い民家の町並みを歩いていると、昔の人が歩いていた当時を思い浮かべることが出来ました。
(2)では、また違った風景を投稿したいと思います。~~
nomiさん、こんにちは!
まさに「街道を行く」ですね。
歴史を学びながらのウオークは、頭にも身体にもいい刺激でしょうね。
難しい字が多いところに歴史の深さを感じてしまいます(苦笑)
lucky さんへ
今回もそうですが、地元の橋本市観光ボランティアの人たちが、埋もれた地元の歴史なり謂れを掘り起こして説明していました。とても熱心に語りかけてくれています。
「前畑記念プール跡」は、橋本川の堤防側にあったそうですが、今は跡形もなくガレージとなっていました。
街道沿いは、色々な時代を写しとって流れて行くようですね。~~