新米のブロガーが誕生しましたが、無事に大きく成長できるでしょうか?
さぁ~て、これは上る太陽か?沈まぬ太陽か?いずれにしよ、
書き込むしかない!との宝楽先生のお言葉!
今日でブログ講座最後です。ど
どこまで理解できるかわからないですが、ひたすら耳を傾けます。(*^_^*)
花火のようにパッと消えてしまわないように、ブログ更新がんばります。
山のあなたの空遠く
「幸い」住むと人のいう
ああ、われひとと尋めゆきて
涙さしぐみかえりきぬ
山のあなたになお遠く
「幸い」住むと人のいう
カール・ブッセ(上田敏 訳)
写真を~とのことでしたが、デジカメの使い方もよう解らないし、ましてパソコンになんて出来ません。すみません。度素人です。携帯から簡単に更新できる?って思ってたんですがその方法教えて欲しいです。お手軽がなによりです。よろしくおねがいします。あと、リンク 何?
それと、「このページから他のページへ~~~」よくでてくるのです。どうゆう意味ですか?
本気でブログ書こうと思ってるんで教えてください。
太田田根子って、聞いたことないわ。一体どこのどなた? あんた誰かと尋ねると、インターネットが教えてくれた。古代、泉北の、ちょっとした有名人。 今の堺市南区三原台の北側 ”見野山”辺りに住んでいた。 時はBC一世紀の頃、史実半分神話半分の伝説の人らしい。
疫病が流行って民の半分が死んでいく。 困った崇神天皇は、夢のお告げで太田田根子に大物主神を三輪に祭祀させ、国を治めた。 奈良櫻井三輪神社は、日本最古の神社の一つ。初代宮司ということか。
実在した初代天皇は、第十代「崇神天皇」が定説なんだって。 実在の天皇に頼まれたんなら、太田さんは実在の人だろうに・・・。
だけど、太田さんのお父さんは「大物主神」だという。 大国主命なら因幡の白兎で知ってるが、大物主の神さんは知らんなあ。 神話の世界の人だろうに、やはり、太田さんは史実と神話の狭間にいた人なんだろうか。
それにしてもBC一世紀頃の堺・泉北に、歴史ロマンの登場人物が住んでおられたとは、また一つ郷土に関心が深まるなあ。
ちなみに、太田田根子は「オオノタタネコ」と読む男性との、インタネットの情報だ。
パート先での出来事
ありがとうございましたの私の挨拶に「とってもおいしかったです」と私の目をしっかり見ておっしゃいました。その後の仕事の終わるまでの時間がどんなに心地よかったか!年輩の女性の方でした。あんなふうに年を重ねられたら素敵です。
言葉の力ってすごいですね
私たちの団地では、大阪府の”ふれあいリビング”という事業が承認され、現在、集会所の改修が進み、来春2月には完成します。ボランティアによる運営で、独立採算です。開設にあたっての備品購入も助成申請をして、スタートの予定でした。
この”ふれあいリビング”というのは、高齢者の引きこもり対策だけでなく、子どもの育成を地域でという思い、また希薄になった地域のコミュニケーションを図るというものです。この想いからボランティアの特技を活かし、喫茶だけでなく、いろいろな誘致活動を行って、認められたのかなとボランティアの自負するところでした。
ところが、今回の事業仕分けにおいて、基金の見直し、基金の全額国庫返納という、お知らせが届きました。
うわぁ~、先般から、連日のニュースを聞き、心配していたことが現実となりました。広くみなさ~んのお知恵を拝借しなければなりませ~ん。よい方法/ルートがありませんか?
プリーズ ヘルプ アス!!
11月14日付け、読売新聞にこんなことがありました。
丸谷才一さんが文芸春秋の大編集者・池島信平氏から気の進まぬ頼み事の対応に迷って受けた助言:
人生つてものは、敵が千人で味方が千人なんです。敵の千人がへることはぜったいない。とすれば、味方の千人がへらないやうにするしかないんですよ。よほど厭ならともかく、がまんできることだったら、ウンと言ふんですな。
この文章は日米安保について、その後を締めくくっていましたが。
この年齢になっても、う~ん、そうかいなぁ、と思った次第。
ところで、新聞のスクラップというのは、何年たっても個人的思考が同じであると、先日整理してみて思いました。これって、進化していないのかなぁ?