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小冊子「mio」のプレゼントに応募して戴いたものです。 

ドラえもん

「どらえもん」の左手の赤い部分をつまむと「ぼく ドラえもんです」「どらやきたべたいなぁ~」とおしゃべりします。今回はブログの音声登録に挑戦してみました。(音声の形式はMP3) 

いかがでしょうか。初期の声優「大山のぶ代」さんの声ではありませんが、聞いてみてください。「ドラえもんの声

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わが家では、いま水耕栽培を試しています。11月26日に水耕栽培の装置を組立て、装置に添付されていた「リーフレタス」を、種まきしました。おいしく野菜が育てばいいのですが?、写真は、種まきから約一週間後のリーフレタスの状態です。意外と早く目が出て二葉に生育したので安心しました。肥料も最初の日に液肥(ハイポネックス)を1000倍に薄めたものを作ってそのままの状態です、水やりの手間が楽です。
種まきから約一週間目の状況です。

種まき1週間後

 

さらに種まきから10日後の状況です。間引きが必要になるほどに生育しています。年の瀬頃には「サラダ」にして食べられるかもしれません。

種まき10日後

 

こちらは間引きをせずに育てた小松菜です。スーパーで売っている品物の様に整っていませんが、すでにわが家の食卓に上がっています。

小松菜

 

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子供が使っているパソコンが突然故障しました。マウスポインタは動くのですがクリックしても反応が無く、しかもキー操作でも終了処理が出来ず、仕方なく強制的に電源を切断しました。その後再起動で正常に立上がらなくなりました。パソコンを布団の上で長時間使用していたことによりパソコンのCPUが熱暴走して正常終了が出来なくその上強制終了した事によりハードディスクの一部のデータが壊れた為と考えられます。

再インストールで修復を試みましたが、修復不可能でした。仕方なく新しいハードディスクを購入し壊れたハードディスクと交換して、添付の「リカバリーCD-ROM」で修復する羽目になりました。ハードディスクは同じ容量(70GB)の製品が無く120GBのハードディスクへアップグレードしました。

HDD交換前

HDD交換後

 

リカバリーCD-ROMで復元は出来ましたがその後、インストールされているOSの更新処理や追加のアプリの再インストールや更新処理、インターネット、メールの環境設定などなど使えるようにするまでには一週間程度掛かりました。もちろん、年賀状の住所禄などのデータは保存されて居なかった為復元は出来ませんでした。

リカバリー実施中

 

教訓 大切なデータは必ず別の「メディア」に保存するようにしましょう!!。

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11月30日「堺市立青少年の家」で平成22年度の南区アクティブカレッジ受講者の報告会と交流会が行われました。南区の瀬戸口区長、松村課長補佐の挨拶と企画された「すまいるセンター」の西上代表や各コースの講師の方々の紹介に続き、農業体験、自然体験、歴史体験の受講生による体験発表が行われました。

私は自然体験、歴史体験を受講しました。歴史体験では泉北地域の須恵器の登り窯に見られるようにこの辺り一帯は須恵器を中心とした工業地帯であった事、自然体験では「堺ふれあいの森」に見るように貴重な自然が残っている事と、特にこの自然を保全していかなければという思いを強く感じました。現在、隣接している鉢ケ峰地域に藍野学院が「野外活動施設整備事業」の配慮計画書を堺市に提出されており、自然が担保出来るのかと危惧しています。

野外施設予定地

野外施設予定地

体験発表のあと参加者全員が各コースに拘りなくバラバラにテーブルを囲み、豊田菜園で採れたレタスやワサビ菜などのサラダや白菜の漬物、サンドイッチ盛合せ等で交流会が行われました。農業体験の人達は収穫祭を行うとの事でした。参加者の内に、ブログ講座で知合った人のも居られ、違った雰囲気の中で話題も盛り上がり楽しいひと時を過ごすことが出来ました。次回は「農業体験をするぞ」と思っています。

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光明池の除(よげ)を源流とした甲斐田川の流れは、「高橋・南」バス停辺りで暗渠を出口として合田川に合流しています。澱みの多い流のなかにも鯉が生息しているようです。また合田川に流込む水の音から川への急な坂道を「ドンド坂」と呼んだ(桧本氏)と「殿の土居の坂」から「ドンド坂」と言う説があるとの事。

暗渠出口

暗渠出口

江戸前期の庄屋であった山本家がすたれた後に「南家」が変わって当地の庄屋になり今でも重厚なお屋敷が桧尾村に現存している。

桧尾の行者堂には修験者の修業を思い伺わせる「下駄の歯が一本の鉄の下駄」や、「丸い凹み」のある「くつぬぎ石」が残っていました。この「丸い凹み」は親指で「くつぬぎ石」に安産祈願をした跡との事でした。

またこの地域は高野山に近く大峰信仰、真言密教が多いそうです。

行者堂

行者堂

くつぬぎ石

くつぬぎ石

参考:[修験者(ジヤ)は山野で難行・苦行する修験道の行者。大刀を帯び 金剛杖(ヅエ)をつき法螺(ホラ)を吹き露宿(ろーしゅく)を建前とし髪は伸ばし頭巾(トキン)をかぶり、けさ・すずかけを着るのが特徴で修験道は加持祈祷(かじ きとう)を主とする密教。 

桧尾集落を散策しながら地名と苗字との関係や集落の「家」と「家」のつながりについて話を聞きながら桧尾大橋へ向かう。桧尾大橋の北詰では「失った物が見つかる」と言われる「地蔵尊」に出合った。

地蔵尊

地蔵尊

桧尾大橋は泉北1号線を南北に横断していた桧尾村から美木多へ続く「尾根道」を切り拓いて造られており、この「尾根道」をつなぐ「道路」として「桧尾大橋」は架けられた。見晴らしが良くPLの花火大会では多く見学者で賑います。

美多弥(ミタミ)神社の境内の森は8,250㎡あり、シリブカガシ(尻深樫)、アラカシ(粗樫)、サカキ(榊)、クス(樟)などの照葉樹が繁っている。「しりぶかがし」はブナ科の常緑樹で、近畿地方以南から台湾・中国大陸南部に分布し、以前は泉北丘陵にも比較的多く分布していたようです。秋には堅果(けんか)が成熟しこの下部の中央が深く凹んでいることから尻深(しりぶか)の名がつきました。またこの地域では「しりぶかがし」は「いっちん」とも呼ばれていました。またこの森の「シリブカガシ」は1973年に大阪府の天然記念物に指定されました。大阪みどりの百選-泉州地域-美多弥神社のシリブカガシの森

美多弥(ミタミ)神社の祭神(さいじん)は天児屋根命、牛頭大神、菅原道真公、天之水分大神、厳島大神大国主大神、熊野大神、琴平大神、八幡大神で 神社の社名は大中臣朝臣「民直(みたみのあたい)」の名前から「美多彌(みたみ)神社」がであろうということです。この民直(みたみのあたい)は、天児屋根命の後裔(こうえい:子孫)との事。

参考:
大中臣氏(おおなかとみし)は日本古代の中央政権において祭祀をつかさどった貴族。
天児屋命(あめのこやねのみこと)は、日本神話に登場する神。神社の祭神としては天児屋根命とも表記され春日権現(かすがごんげん)とも呼ぶ。

美多弥神社

美多弥神社

大阪みどり百選

大阪みどり百選

美多弥神社

美多弥神社

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和泉国の室堂村には光明皇后にまつわる伝説が残されています。『和泉国村々名所旧跡附』の室堂村の項に「字を照田・光田という田が2ヵ所ありこれは光明皇后の田地と伝えられ近所には小宮があり金剛寺と号し光明皇后の寺と伝えられている。

光明池の名前の由来である「光明皇后」は、701(大宝元年)にこの地に生誕したという伝説があり、和泉市国分町にある「国分寺」にも生誕地と伝える碑が建てられています。光明皇后はこの国分寺の高僧と鹿の間に生まれた女児で、時の権力者藤原不比氏の養女となり都で育てられたという。この女児がこの地を去るとき、母の鹿が悲しみながら娘を見送ったといわれるのが「女鹿坂(めまさか)」の地で、現在ではバス停の名として残っているとのことです。

この辺りはニュウタウン造成時に残された自然林もあり散策のとき「イヌビワ」を見つけました。

イヌビワの実

食べられるかどうかわかりません

イヌビワ

 

 

 

 

 

 

 

桧尾千塚跡は新桧尾台周辺に点在していた古墳を一か所に移築してモデル古墳として「泉北メモリアルホール」の西側に公開したものです。現在は後を残すのみで古墳と見極めるのは難しい状態となっていました。

桧尾千塚跡

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◆11月11日南区の歴史体験で光明池を尋ねました。光明池は面積36万㎡外周8㎞で堺市と和泉市とにわたり、1931(昭和6年)から5年間をかけて農業用ため池として造られた。工事には当時日本の植民地であった朝鮮半島から仕事を求めてきた300人近い朝鮮人が従事し危険な作業の中で10数名の犠牲者がでたとの事、石碑は工事で亡くなった朝鮮人労働者を慰めるため建立されています。(掲示板より)
光明池の水は光明の滝(国分町)付近の槇尾川から取り入れられており大阪府内でも最大を誇る大きさです。

1975(昭和50年代)に入って、本堤防からの漏水や水供給の要である取水塔や放水路の著しい老朽化や上流域の宅地開発などに伴い流入する水量が増大するといった問題を抱えるようになり、このため1977(昭和52年)から1985(昭和60年)にかけて、本堤防の補強、余水吐(除:よぎ,よげ)の改修、取水塔の改築を目的とした昭和の大改修が行われました。(水土里ネット光明池より)

説明を聞く

説明を聞く

石碑

樋と除(よぎ)

樋と除(よぎ)

 

 

 

 

 

 

光明池の余水吐(除:よぎ,よげ)は甲斐田川の源流となって「イオン」の横を通り鴨谷グランドを豪雨時の一時避難プールとして泉北高速鉄道の下を暗渠として和田川に合流しています。

甲斐田川の源流

甲斐田川源流

甲斐田川

甲斐田川

豪雨時の避難水路

豪雨の避難路

暗渠入口

暗渠入口

 

 

 

◆光明池守護神社

本堤防の東側の余水吐(除:よぎ,よげ)の近くある光明池守護神社は本堤防の改修に向けて調査中にこの地に三神が祭られていたことがことが明らかになりました。これは昭和初期の光明池築造の時に守護神として造営されたと見られその後、風雨にさらされ荒廃し痕跡を残すのみとなっていたもので、本堤防の改修に合わせて1984(昭和59年)に再建築造されました。さらに、2005(平成17年)には神殿の改修が行われました。(水土里ネット光明池より)

光明池守護神社

光明池守護神社

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お天気に誘われて干し柿にする渋柿を求めて「国華園」へ行ってきました。ちょうど「日本菊花全国大会」の開催中だった為か多くの人で会場はあふれていました。会場には様々な「菊花」が展示されており「総理大臣賞」「衆議院議員賞」「厚生大臣賞」「大阪府知事賞」などなどに人だかりが多く「菊花」の前で競って記念写真を撮っていました。渋柿はさっそく皮をむきベランダで干しました。

CA3F0078

内閣総理大臣賞

厚生労働大臣賞

厚生労働大臣賞

衆議院議員賞

衆議院議員賞

お正月に間に合うか楽しみです。

干し柿

干し柿

展示の菊は「日本菊花全国大会(国華園)」としてすでに公開されていました。

URLはhttp://orangestudio.homeip.net/gallery/user.php?userid=17114