朝は晴れていたのですが、午後2時頃曽爾高原に到着した頃はすっかり曇天、風で銀色に震えるような芒を写真に撮りたかったが残念。
それでも30年前に初めて此処を訪れたときの波打つ芒の記憶はありました。秋は未だ始まったばかり、芒、紅葉未だまだ尽きない楽しみがあるのでしょう。
2010年10月 のアーカイブ
10/27 曽爾高原 「すすき」
2010年10月31日 日曜日ラ・ボェーム
2010年10月23日 土曜日吾がブログの表題をどうしょうかと考えたとき先ずはじめに「南区明るい街角」などという気負ったものが浮かんだ。
10日くらいそのままにしていたがどうも気になる、もっと気楽に恒常的に気安く続け無ければ意味が無いなどと思いが沸いてきた。
私の趣味の一番目は「歌、音楽」が好きだ、自分で楽器の演奏も出来ないしそれほど含蓄も無いがとにかく好きだ。ソノ好きな音楽、歌の中でも少年の頃から好きなのは「シャンソン」今一番好きなシャンソンのなかで「ラ・ボェーム」シャルル。アズナブールの歌で有名なあの曲である。フランス語は解らないが日本人歌手では「金子由香里」で覚えた、「美輪明宏」「ちあきなおみ」シャンソン歌手なら全部歌っている、YOU TUBEで検索すれば十数人がでてくるあの歌。
「流浪」さすらい—と日本語では訳されている、20歳の頃の青春の思い出のような詩だが私には自分が歩んできた人生そのもを綴ってあるように思えてならない。そう思えてきて当面は「ラ・ボェーム」とすることにした。この曲は中西礼さんの訳詩で歌われている原曲の詩とは全く異なる「中西礼・・・作詩」だとも言われている。
ラ・ボェーム 作詩曲 シャルル・アズナブール 訳詩 中西礼
(一番と四番を掲載)
モンマルトルのアパルトマンの窓辺に開く リラの花よ
愛の部屋で貴方はいつも絵を描いていた 愛しい人私をモデルに
愛し合った貴方と私の二十歳の頃
ラ・ボェーム ラ・ボェーム 幸せの夢よ
ラ・ボェーム ラ・ボェーム 根の無い草花
或る日のこと私達は愛の街角 尋ねてみた
リラも枯れてアパルトマンの影さえなく 歩き慣れた道さえ消えていた
若き日々の靴の音は聞こえなかった
ラ・ボェーム ラ・ボェーム 還らない夢よ
ラ・ボェーム ラ・ボェーム 一抹の夢よ
南区市民ブログ講座終了
2010年10月23日 土曜日19月23日(土曜日)AM10.00~12.00
9月5日から始まったブログ講座も本日第4回目を向えて。
デザインの変更——→確認。
コメント————→公開であることの確認と教室内での交換実習。
プラグイン———-→カテゴリー. 天気予報を取り込み。
この方法はプログパーツなどを取り込んで広げていけそうだ。
HTML————–→行間の調整ができる。
まだ未だ上級のテクニックがありそうだが一先ずそれなりの体裁が整うテクニックは学習できたように思う。
ブログカフェに参加したいが11月後半か12月から参加出来るように日程を調整しよう。
意気込み
2010年10月23日 土曜日もうこの年で意気込んでも高が知れています。
肩の力を抜いて気楽にに皆さんと仲良くブログ暮らしをしたいと思います。
何をどのように伝えたいのかを「もう一度考え」て進めたいと考えております。
今日の意気込み
2010年10月23日 土曜日大体のブログのやり方はできてきたように思いますが、ここからは上級に属する知識とテクニックが求められるところだろうと思います。
1.訪問者への対応
2.その他の表現方法 趣味人倶楽部のようにアクセスの表示。他のサイトの連携を表 示して繋がりを作る。(例。YOU TUBE.デジブック)
NPOの所管が大阪府から堺市に移管
2010年10月22日 金曜日6月に21年度の定款変更等の登録手続きを大阪府所管に提出していて受け付けは終了していたが、今年度からこの関係は「堺市市民人権局市民生活部市民協働課」にて取り扱われることになり、先般来定款変更に伴う協議というか指導を受けることになった。担当者が変わることで府の担当者と少し異なる見解によるものも出てきたが10月21日2度目の打ち合わせの為に市民協働係担当者から指導を受けて再度訂正書類を作成し提出することになった。行政所管官庁が市になったことで先ず、便利になったこと、私達の活動の実情を身近に知ってもらえることも今後の活動に大いに役立つのではと期待を寄せているところです。
⑤ 私の宝物 LEICA M8&LEICA LENS 考。
2010年10月15日 金曜日私の趣味の一つに写真がある。専ら旅行とか機会があれば近場の風景が主で、プロのような芸術の薫り高い作品は自己流の技術しかない私には無理なことである。
戦後すぐの頃、子供心に記憶していることで、近所のお姉さんの羽振りの良い彼氏が自慢げに見せてくれた写真機が「LEICA]であった。到底持つことが適うまいと思っていたのが「LEICA]である。その後社会人になって自分で写真機が買えるようになり、先ず最初に手にしたのがCANON・・・・PENTAX・・・CONTAX・・・NIKON F・・・ホクトレンダーハリアーまではフィルムカメラ・・・NIKON D70は今年の7月まで愛用したカメラです。その間にも様々なコンパクトカメラD70と7月まで2年余り愛用したレンジファインダーカメラZAISS IKONも先ずまずの機械だったようです。それらの中で手元に残っているのはCONTAX tvs(銀塩)とCONTAX tvs DIGITAL・・・それに妻用としてのCANON IXY のコンパクトカメラ3機のみである。
フィルムカメラの時代はさほど感じなかったが、ZAISS IKONを購入した時期からシャッターの感触がいまひとつもの足りなさを覚え、様々にシャッターのシステムを調べてみると日本製のカメラは優秀だあるがモデルチェンジが早いのとシャッターのことには余り考えていなくて(ライカ仕様のフォーカルプレーンシャッターはコスト面で高価になる)、特にデジタルになってからはどうもこれは違うのではと、特に「バカチョンカメラ」などと云う時代になって個性が薄れてきて作品としては構図以外には全てみな同じ。全てみな優秀で良いのだろうが「没個性」となる嫌いがあるように思うわけです。(出来れば銀塩カメラで行きたいが手軽さでLEICAもDIJITAL)
そんなことを考えていた今年の7月にインターネットオークションで販売店展示用の新品同様というM8をみつけて格安で応札したところ数日後にそのまま「落札」したので入手、所有していたD70+レンズ2本+SB800他付属品一切・ZAISS IKON+レンズ付属品などを処分してLEICA RENS・・・ELMMARIT M f2.8/21・SUMMARIT M f2.5/35・SUMILUX f1.4/50・SUMICRON M f2/90のレンズ4本とmecablitz SCA300のスピードライトを購入。今は私の大切な「宝物」これ以上はライカ遊びはしないつもりです。一眼レフではない・・・LEICAはM型のシステムを継承してレンジファインダーと、デジタルでも距離と絞りを合わすことでシャッタースピードを調節、撮影時に液晶モニターニは表示しない等の今の国内メーカーでは常識にないものだが、1/8000のシャッタースピードを装着、シャーターの感触はV.Good。レンズはZMマウントなら(数種の特殊なレンズ以外)LEICA M1機発売当時の時代物も全て装着可能。(L型、S型、R型等は別にして)作りが頑丈だがコンパクト。M8の後継機としてM8.2、M9が発売されたが(価格77万円は手が出ない)M8の人気は高い。残念なのは90以上の望遠レンズが装着できないことぐらいかと思っています。
下記の2枚のフォトはCONTAX tvs Dijitalです。
以下はM8 SUMMARIT 2.5/35 ISO160
下の1枚は走行中列車からの眺望撮影です。