‘観光地’ カテゴリーのアーカイブ

三朝温泉残照

2010年7月17日 土曜日

三朝温泉にて」(6月18日投稿)において少し書き残していたことがありました。それは「かじか橋」の左岸にある木下利玄(としはる)の歌碑です。案内板には次のような説明文がありました。    「・・・明治19年岡山県に生まれる。・・大正14年没。・・・ 利玄は二人の子供が夭(わか)く死んだので、妻をなぐさめ健康回復のために、万事をなげうち大正5年6月東京から旅にでました。山陰道を人力車で旅を続け、9月下旬に三朝温泉にきました。・・・」と記されています。歌碑には次の歌が刻まれていました。

「 仕事をへつかれいたはる百姓と

  あたまをならべ外湯に入るも    木下 利玄 」

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利玄が山陰道を人力車で旅をした大正時代の三朝温泉を想像してみる。今は旅館や道路・施設等開発されてきたが、三朝川はその頃とあまり変わらないであろう。当時の「百姓」が野良仕事をして、外湯(株湯?中湯?)に入り汗を流し落とす様子が浮かんできます。「ああいい湯だ。今日も一日仕事をしたぞ!」と言う声が聞こえてきそうです。(写真:三朝川と河原風呂)

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かじか橋の中央には「足湯があります。その周囲の欄干の柱に、歌詞がプレートされていました。与謝野晶子、寛の他に、田山花袋(明治4年~昭和5年)の歌があります。

「三ささ川きよき流れをわれとめて

 おくのいでゆに一夜ねにけり    田山花袋(大正12年6月)」

( 写真左:歌碑 、 右:かじか橋と足湯 )

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鳥取県立博物館を観る

2010年6月26日 土曜日

同窓会の翌日、数十年ぶりに鳥取市に立ち寄ってみました。鳥取駅前周辺はすっかり変わっていました。ここに来たなら、やはり「鳥取砂丘」に行かないわけにはゆかないと、バスで20分位の砂丘へ行きました。当時と変わらぬ雄大な砂丘が広がっていました。

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その後、久松山の麓で鳥取城址内にある「鳥取県立博物館」を訪ねてみました。“片山楊谷と島田元旦の特別展”が開催されていた。共に江戸時代後期に独自の画風をつくり、鳥取との深いつながりをもってきたという。「大和絵や狩野派とは異なる新奇な画風で、因幡画檀の形成に寄与した」とのこと。(写真:鳥取県立博物館)

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常設展示では、地学生物、歴史民俗、美術の各展示室があります。特に歴史民俗展示室では、縄文~弥生時代の遺跡の出土品が数多く展示されていました。「青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡」(青谷町)は弥生時代前半~古墳時代に「交易拠点の港湾集落」として栄えていたという。木製容器、海外からの鉄器、殺傷痕人骨、弥生人の脳など出土したとのこと。「妻木晩田(むきばんだ)遺跡」(淀江町、大仙町)は弥生時代後半(1~3世紀)の大規模な集落跡が発掘されたという。いつかはこれらの遺跡現地を訪れてみたいと思う。(写真:仁風閣 )

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