‘陶邑窯跡’ タグのついている投稿

三木閉~大庭寺を歩く

2015年2月8日 日曜日

●桧本多加三氏監修の「泉北ウォーキングMAP」にある三木閉(みきとじ)・大庭寺地区のチラシが気になり、その周辺を散策してみました。三木閉集落あたりは江戸時代大庭寺村の枝郷として、新田開発により形成されたという。

●泉北北線道路の交差点を渡ると、大庭寺地区に入る。阪和道建設の時、この周辺で初期須恵器窯が出土したという(大庭寺遺跡)。この発見により我が国における須恵器生産の原点は、陶邑にあったことが証明されたとのこと(大阪府文化財センター資料より)。

●そんな歴史を持つ土地は肩を寄せ合う小ぢんまりした集落であった。来迎寺はその一角にありました。

泉北すえむら資料館・講演を聞く

2011年3月21日 月曜日

3月20日(日)、堺市立泉北すえむら資料館主催「須恵器・陶邑の謎を探る」講演会の最終回講演がありました。          「須恵器の陶工はどこから来たのか」と題して、宮崎泰史氏(大阪府教育委員会)の講演です。

講演会場

 氏は泉北ニュータウン造成時の陶器窯跡群、その後の遺跡調査から出土した窯壁片・須恵器等の特徴から、朝鮮半島での須恵器窯の系譜を辿り、須恵器工人が何処から来たのかを明らかにしてゆきます。

講演会パンフ

高倉寺地区のTK73号・85号窯跡からの特殊なタタキ目で成形された甕(かめ)形土器、大野池地区のON231号窯跡からU字形の板状土製品が出土したという。これらは朝鮮半島の百済地域や栄山江流域で見られるとのこと。                  このことから須恵器の陶工は4世紀後半~5世紀初めに、朝鮮半島南西部から渡来してきたという。大蓮公園の森を見ながら古代の歴史に思いを馳せてみました。

直線文タタキ目(TK73号窯跡)