泉田中の保存樹木

2010年7月25日

泉田中(堺市南区)の市指定保存樹木を見てきました。上神谷小学校(4月24日投稿)の南西500m位の所にあります。まず西方寺イヌマキです。泉田中バス停(泉ヶ丘駅発~鉢ヶ峯行)の前にありました。ひっそりとしたお堂のある寺ですが、イヌマキは樹高12m、幹周り2.4mのしっかりした樹木です。

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道路を隔てた坂道を上がると、丘の上には池田邸クロガネモチの市指定保存樹木があります。時代を感じる大きな門構えのある屋敷の中に、クロガネモチの大木が緑の枝を広げていました。常緑高木で花は5~6月に咲き、秋には赤色の実がつき、庭木として栽培されているとのこと。陶荒田神社(2月7日投稿)のクロガネモチとはちょっと趣の違った樹木であった。

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三朝温泉残照

2010年7月17日

三朝温泉にて」(6月18日投稿)において少し書き残していたことがありました。それは「かじか橋」の左岸にある木下利玄(としはる)の歌碑です。案内板には次のような説明文がありました。    「・・・明治19年岡山県に生まれる。・・大正14年没。・・・ 利玄は二人の子供が夭(わか)く死んだので、妻をなぐさめ健康回復のために、万事をなげうち大正5年6月東京から旅にでました。山陰道を人力車で旅を続け、9月下旬に三朝温泉にきました。・・・」と記されています。歌碑には次の歌が刻まれていました。

「 仕事をへつかれいたはる百姓と

  あたまをならべ外湯に入るも    木下 利玄 」

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利玄が山陰道を人力車で旅をした大正時代の三朝温泉を想像してみる。今は旅館や道路・施設等開発されてきたが、三朝川はその頃とあまり変わらないであろう。当時の「百姓」が野良仕事をして、外湯(株湯?中湯?)に入り汗を流し落とす様子が浮かんできます。「ああいい湯だ。今日も一日仕事をしたぞ!」と言う声が聞こえてきそうです。(写真:三朝川と河原風呂)

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かじか橋の中央には「足湯があります。その周囲の欄干の柱に、歌詞がプレートされていました。与謝野晶子、寛の他に、田山花袋(明治4年~昭和5年)の歌があります。

「三ささ川きよき流れをわれとめて

 おくのいでゆに一夜ねにけり    田山花袋(大正12年6月)」

( 写真左:歌碑 、 右:かじか橋と足湯 )

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