‘神社’ カテゴリーのアーカイブ

街道沿いの風景

2011年4月29日 金曜日

西高野街道(中百舌鳥~十二里石~中茶屋~十一里石~おわり坂)を歩き、まだ書き残していることがありました。          街道に面して、地域の「地蔵堂」が建てられていました。8月下旬、夏休みが終わろうとする時期に、「地蔵盆」が行われます。地蔵盆は古くから子どもの守り佛(神)として信仰され、子どもが主役の日という。地域の大人達から健やかな成長を願い、お土産が振舞われたりします。                              そんな風情が残る、「お地蔵さん」のある街道の風景でした。

お地蔵さん(陶器北)

「おわり坂」は「大阪狭山市今熊」地区ですが、その地名の由来にもなった「三都神社」が近くにあります。天野街道から陶器山の尾根を下ると、森の中に静かに佇んでいます。「『熊野三所権現』を勧請して三都神社を作り・・『今熊野』と呼んだ」(西高野街道ガイドより)という。「今」は「新しい」という意味とのこと。       「今熊」という変わった地名を不思議に思っていましたが、これで歴史の謂れが解り、より親しみを感じることが出来ました。

三都神社(今熊)

街道めぐり・堺を歩く(3)

2011年2月7日 月曜日

●「第2回愉快・爽快・空海ウォーク」で見かけた堺の街の中で、「長尾街道」沿いには歴史的な役割をした寺院や古社があります。   「方違神社」(堺区北三国ヶ丘町)は紀元前80年頃が起源といわれ、「平安時代から流行した方違(かたたがえ)信仰に基づき、転宅・新築など方角の厄や災難よけ・・」(主催者資料)などで参拝者が訪れるという。あまり広くない境内には多くの人たちで賑わっていました。

方違神社

●街道を西に進めると、妙国寺(堺区材木町東)がありました。境内には織田信長をも恐がらせた大蘇鉄の伝説が残るお寺でもあります(堺市パンフ)。大蘇鉄は「国の天然記念物」となっています。また、堺事件での土佐藩士11烈士切腹の地であるという。

妙国寺の案内板

●さらに、少し北へ進むと、堺最大の木造建築である「本願寺堺別院」(堺区神明町東)があります。1868和泉国が堺県となった時、当院に県庁が置かれたという。その後、河内国や奈良県も合併し、1881年大阪府に吸収されるまで、堺県庁として使用されたとのこと(堺市パンフ)。明治初期の廃藩置県の名残か、堺ブランドの表れなのか、歴史の大胆さを見ることが出来ました。

本願寺堺別院