‘街道めぐり’ カテゴリーのアーカイブ

街道めぐり・堺を歩く(4)

2011年2月10日 木曜日

「第2回愉快・爽快・空海ウォーク」の中で、「紀州街道」沿いには現在の堺の産業基盤に大きく寄与したものがありました。      その一つは「堺刃物伝統産業会館」で展示・販売されている「堺打刃物」です。 「16世紀ポルトガルよりタバコが伝わり、・・タバコの葉を刻む『タバコ包』が堺で初めてつくられた」(当会館パンフ)という。古墳時代の鍛冶技術が生かされ、現在ではプロ用包丁のほとんどが、堺で生産されているといわれています。

堺刃物伝統産業会館

国の重要文化財の「山口住宅」(堺市立町屋歴史館)は、江戸時代前期の町屋例として極めて貴重な民家という。           その住宅の和室の一室に「堺緞通」のミニ耕織機が展示されていました。1831年藤本荘太郎が鍋島緞通や中国製を模して、泉利兵衛に作らせ売り出したのが始まりとのこと。ピーク時(1831年)には年間89万畳を生産していたという。昭和30年代以降はマットやカーペットなどの敷物産業へと引き継がれました(堺式手織緞通技術保存協会パンフ)。大阪府指定無形民俗文化財として技術・保存をはかっています。

保存会のパンフ

“ウォーク”のゴールは堺市役所の展望ロビーです。ロビーでは「堺鉄砲」の展示コーナーがありました。日本に鉄砲が伝わり、鋳物師や鍛冶の集住地である堺で、製造されるようになったという(博物館パンフ)。江戸時代には装飾性の高い堺鉄砲がつくられたとのこと。その技術(砲身)が自転車のハンドルに生かされ、自転車生産へと発展していったと言われています。                観光ボランティアのakj さんより説明を聞きました。ありがとうございました。

堺鉄砲

街道めぐり・堺を歩く(3)

2011年2月7日 月曜日

●「第2回愉快・爽快・空海ウォーク」で見かけた堺の街の中で、「長尾街道」沿いには歴史的な役割をした寺院や古社があります。   「方違神社」(堺区北三国ヶ丘町)は紀元前80年頃が起源といわれ、「平安時代から流行した方違(かたたがえ)信仰に基づき、転宅・新築など方角の厄や災難よけ・・」(主催者資料)などで参拝者が訪れるという。あまり広くない境内には多くの人たちで賑わっていました。

方違神社

●街道を西に進めると、妙国寺(堺区材木町東)がありました。境内には織田信長をも恐がらせた大蘇鉄の伝説が残るお寺でもあります(堺市パンフ)。大蘇鉄は「国の天然記念物」となっています。また、堺事件での土佐藩士11烈士切腹の地であるという。

妙国寺の案内板

●さらに、少し北へ進むと、堺最大の木造建築である「本願寺堺別院」(堺区神明町東)があります。1868和泉国が堺県となった時、当院に県庁が置かれたという。その後、河内国や奈良県も合併し、1881年大阪府に吸収されるまで、堺県庁として使用されたとのこと(堺市パンフ)。明治初期の廃藩置県の名残か、堺ブランドの表れなのか、歴史の大胆さを見ることが出来ました。

本願寺堺別院