‘ウォーク’ カテゴリーのアーカイブ

高野街道・学文路へ(1)

2012年9月17日 月曜日

●9月15日(土)、「高野街道にぎわい再発見プロジェクト」主催の第5回高野街道・紀見峠駅~学文路(かむろ)駅までのウォークに参加した。南海高野線・紀見峠駅前で受付を済ませ、先頭グループとして出発する。駅前の集落を抜け、国道371号線を横切り高野街道に出る。幅1間位の道は山裾を縫うように下っている。街道の雰囲気がでてくる。

高野街道(慶賀野地区)

●やがて、「慶賀野蛭子神社」に着く。街道横の山裾にある。鳥居をくぐると、小さな祠が山の斜面に建てられていた。村の産土神として祀られているという。

慶賀野蛭子神社

●街道は国道と合流する。橋谷地区手前に「五里道標石」立てられていた。更に橋谷地区の町並みを抜け、「胡痲生(ごもう)相賀八幡神社」に立ち寄り、橋本市街地に入ってゆく。                             狭い路地の奥に「応其(おうご)」があった。安土桃山時代から江戸時代初頭に真言宗の僧、木喰(もくじき)応其上人が再興したという。天正13年(1585)秀吉による紀州攻めに和平交渉の使者として、高野山を兵火から救ったとのこと。また塩市を始めて、現在の橋本の礎をつくったという。部屋をお借りして、昼食をとる。(感謝)

応其寺

 

“堺まちあるき”

2012年9月8日 土曜日

●先日、友人たち(いきいき堺市民大学2期生)と“堺まちあるき”をした。今回は堺東駅(南海高野線)から北西部の古い町並みを散策してみました。妙国寺を過ぎ、本願寺別院に着く。明治4年から10年まで「堺県庁」であったという。本堂は堺最大の木造建築。その側に与謝野晶子の歌碑があった。 「劫初より作りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘ひとつ打つ」

本願寺別院

●感応寺、十輪院など多くの寺院の並ぶ街かどを抜け、山口家住宅へ。江戸時代初期に建築された町家で、昭和41年国の重要文化財に指定されたとのこと。主屋は奥座敷・西座敷・大小の和室・広い土間等々が配置されていた。二つの土蔵、庭園も見学することができた。

山口家住宅

●チンチン電車の通る広い大道筋を北に上がる。水野鍛錬所や鉄砲鍛冶屋敷のある街区の一角に「清学院」がある。清学院は修験道の寺院で、江戸後期から明治初期には寺子屋としても使われていたという。河口慧海はここで学んだとのこと。後に明治33年(1900)チベットに入り、仏教についての研鑽をつみ、仏教の正しい理解と普及に努めたという(パンフより)。院内には寺子屋の机・硯・そろばんなどが並べてあり、当時の様子が思い浮かばれます。

鉄砲鍛冶屋敷