‘史跡・遺跡・古墳’ カテゴリーのアーカイブ

第2回世界遺産講演会を聴く

2011年1月23日 日曜日

1月22日(土)、ビッグアイにて堺市による「第2回世界遺産講演会」がありました。堺市世界文化遺産推進室長のあとに、「世界遺産は誰のものか」と題して、斉藤英俊氏(京都女子大学教授)の講演がありました。①ユネスコ設立(1946年)と世界遺産条約成立の過程、②文化遺産の定義、③文化遺産に登録されるための要件等についての話でした。

世界遺産の講演

次いで、「百舌鳥・古市古墳群の世界的意義を考える」とした、  岸本直文氏(大阪市立大学教授)の講演です。氏は「仁徳陵」を伝承であるとし、名称を「大仙古墳」としたい歴史的経過を説明する。その上で、その墳丘は480mではなく、周濠の水面下に下段斜面があり、その長さ540mになるとのこと。大仙古墳の築造は5世紀中頃であるとのこと。弥生時代後期に形成されたヤマト国~日本の国家形成を進めた古墳時代の400年間のうち、5世紀に河内政権が残した墳墓であるという。

百舌鳥・古市古墳群の講演

最後に、世界的意義として、・国家の形成期の巨大なモニュメントとして普遍的な価値をもつこと、・日本独特の墳形=前方後円墳という独創性、・古市・百舌鳥古墳群は巨大化した5世紀の王陵であること等をあげる。                              そして陵墓を宮内庁と堺市などが保護を図り、開かれた陵墓となることを望むとして講演を終えました。

古墳の分類(神聖王系と執王系)

「纏向遺跡と邪馬台国」講演

2010年10月30日 土曜日

先週泉ヶ丘センタービルにて、「向遺跡と邪馬台国」と題した辰巳和弘同志社大教授の講演会がありました。

9月17日に桜井市向遺跡の3世紀中頃の穴から桃の種約2000個や竹製のカゴが出土しました。そのことについて、「女王卑弥呼との関連で有力な裏付けになるのではないか」と話します。同遺跡が邪馬台国畿内説を立証するものではないかという。

歴史講座講演会

歴史講座講演会

①遺跡の主要遺構は東西の方位より、3.5度の右上がり角度であること。この軸線は纏向石塚遺跡ー纏向遺跡建物ー東山麓の「斎槻(ゆつき)岳」と一直線で結ばれているという。                  ②雄略記・万葉集の中で「斎槻」=欅の木を「神の象徴」として崇められていたこと。                            ③纏向石塚古墳(紀元200年前半築造)は、箸墓古墳に先立つ墳丘墓であり、一帯は前方後円墳発祥の地であること。       ④出土した外来系土器は東海、河内、吉備、山陰、北陸等から生産された搬入土器であること。                     ⑤また遺跡では多数の「土拡(どこう)」(井戸)が発掘された。この「土拡」は飛鳥の酒船石遺跡などに受け継がれた祭祀用・占いなどの儀式としての井戸であること。

等々のことから、纏向遺跡は「魏志倭人伝」の記されている「倭国」で、箸墓古墳は「卑弥呼」の可能性が益々高まってきたという。大変興味深い講演でした。

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