‘史跡・遺跡・古墳’ カテゴリーのアーカイブ

“国史跡・土搭”講演会

2010年9月27日 月曜日

9月26日(日)「国の史跡・土搭」の特別公開と「堺の宝 土搭の文字瓦」をテーマにした講演会(主催:堺市文化財課)がありました。まず午前中に「土搭(堺市中区土塔町)」(関連記事5月9日参照)を見学する。特別公開では土搭の頂上部が開放されて、多くの人たちが登っていました。係員による土搭の構造、文字瓦、歴史の説明があり、瓦や写真の展示もありました。

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午後には「ソフィア堺」(堺市中区深井清水町)で講演会がありました。①「土搭の文字瓦」について、近藤康司氏(堺市文化財課)から、文字瓦の分析、文字の内容、文字瓦の意味するもの等の説明がありました。土搭から1000点を越す人名瓦が出土していること。これらは、行基が土搭を建立するに際し協力した人々であると考えられるという。

②「古代の文字瓦」と題して上原正人氏(京都大学教授)の講演がありました。文字瓦の意味として、作り瓦を記念した年号・作者などを記した文字瓦、工人の賃金支給・労務管理に関わること、瓦を寄進する仏教的作為行為=知識にかかわる文字瓦等があるとのこと。文字瓦の造瓦工房の変遷、知識瓦の系譜~行基の活動から寄付の強要へ~等の話がありました。

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次に③「史跡土搭出土文字瓦の歴史的意義」について、栄原永遠男氏(大阪市立大学名誉教授)の講演です。・「氏寺」と言う用語、・古代寺院と氏族、・土搭の知識と行基の活動等について語られました。その中で土搭の人名瓦から、行基は各地の知識集団のネットワークを形作っていったことが明らかになったという。行基49院の中でも人名瓦が出土されたエリアとそうでないところがあり、行基の知識集団は伸縮自在の組織であり、それぞれの判断で行基の呼びかけに加わったのではないかとのこと。(「知識」とは、仏教用語で財物や労力などで寄進し仏と縁を結ぶことを言う。近藤氏レジュメより)

講演会が終了した頃には、夕暮れ近くになっていました。(写真左:人名瓦、 写真右:ソフィア堺)

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泉北すえむら資料館で講演を聞く

2010年8月9日 月曜日

8月8日(日)「堺市立泉北すえむら資料館」(南区・泉ヶ丘駅歩5分)(旧府立泉北考古資料館・2009年11月26日投稿)において「古市古墳群の終焉」と題して、現地で発掘調査・研究している河内一浩先生の講演がありました。

①「世界文化遺産」の「暫定一覧表記載」が決まり、一歩前進したこと。 ②古市古墳群は4世紀後半から6世紀中葉の約150年間に造営されたこと。中でも応神陵古墳の長さ420mを筆頭に200m以上が7基あり、合計127基で構成されているという。 (現存する古墳は44基に過ぎないとのこと) ③古墳の形状、埴輪の特色と区分、古墳時代後期の古市古墳群のこと等の説明がありました。

古市古墳群を見ていないので、ぜひ現地に行き「文化遺産」を確かめてみたと思いました。(写真:堺市立泉北すえむら資料館)

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