‘寺院’ カテゴリーのアーカイブ

天見の里を歩く(1)

2011年7月10日 日曜日

7月10日、梅雨明けの真夏の日差しの中、河内長野市・千早口~天見周辺を歩いてみました。というのも河内長野市「かわちながの自然歩道」のパンフに「地蔵寺のホトトギス」のことが載っていたので、行ってみたくなりました。南海高野線千早口駅下車し、周囲が深い緑の山に囲まれた駅前の地区を抜け、地蔵谷を上がってゆきます。約15分ほど歩くと、前方にモミの木などで森となっている地蔵寺(河内長野市清水)に着きました。(河内長野市HP参照)

地蔵寺全景

大阪府の「名勝 地蔵寺」と、「河内長野八景 天見郷のホトトギス」と書かれた二つの石柱がありました。境内4,500㎡もあるという。寺の背後には、モミの木・枝垂桜の大木や杉の木が茂り、庭園にはシャクナゲ・モミジなどが多く植生しています。(入山には事前の許可が必要とのこと)

「名勝 地蔵寺」の石柱

暫く山門前の木陰で休憩し、耳を済ませてみました。ウグイスの鳴き声が、盛んに聞こえてきますが、「ホトトギス」の声を聞くことはできませんでした。朝の涼しい時間帯がよいかも・・・。 でも、緑の森を涼しい風がぬけて、しばし暑さを忘れるひと時となりました。

地蔵寺周辺の風景

「堺幕府と三好政権」講演を聞く

2011年6月1日 水曜日

先日、顕本寺(堺区宿院町東)にて、「堺幕府と三好政権」と題して天野忠幸氏(関西大学講師)の講演がありました。これは「春季堺文化財特別公開」と併せた連続記念講演会で、顕本寺・開口神社・妙国寺にて開催されました。

顕本寺の案内板

氏の講演は次のような内容でした。                    ①室町幕府の足利家の分裂と戦国武将の登場。        ②1527年三好元長(阿波の三好一族、軍事力優勢)は足利義維、細川晴元らと堺幕府樹立(5年間)。しかし晴元により追われ、自害する。(境内にはお墓があります)               ③1549年三好長慶は父・元長の仇・晴元を倒し、1553年13代足利義輝を追放する。

三好元長の墓(右)

④元長の「堺幕府」は足利幕府の実権を握る為のもの。一方長慶は足利氏に代わり、三好氏自身で武家政権をめざした。     この三好一族の戦いは、後に戦国武将の天下統一(武家政権)をめざす端緒になったという。

顕本寺・本堂