‘寺院’ カテゴリーのアーカイブ

“西高野街道”を行く(2)

2011年4月9日 土曜日

西高野街道の「十二里石」を南に下ると、中茶屋地区にきます。関茶屋と同じように街道沿いに、茶屋があったことが地名の由来となったとのこと(西高野街道ガイド小冊子より)。そんな街道に面して、大きな「くすの木」(堺市指定保存樹木)と白い土壁のある「興源寺」に着きました。案内板によれば奈良時代に行基が開いたと伝えられている。本堂には「木造不動明王立像」(堺市指定有形文化財)が安置されています。

興源寺・くすの木

福田から陶器北地区の緩やかな上り坂の街道を進むと、岩室地区の「十一里石」に着きました(中百舌鳥駅より約6.4km)。石柱には「安政四丁巳年二月」と記されていました(1857年2月)。

十一里石

府道堺狭山線との岩室交差点を渡り、狭い道をぬけて、天野街道との分岐点に着きます。大阪狭山市今熊地区をしばらく歩くと急な下り坂に出てきました。遠くに金剛山・葛城山等の山々が見渡せます。                                  この坂道は「おわり坂」と言われています。「街道ガイド」小冊子によれば、江戸時代後期の狭山池改修で働いた「尾張衆」が坂の名前になったとのこと。また、急勾配の坂道を荷車に「追われ」て下ったり、坂を上がりきって「おわり!」と一息ついたのが地名の由来ともいわれているという。                       「西高野街道ガイド」小冊子の編集後記によれば、ブログ講座(2期)の講師であった陸奥 賢氏が編集されています。これからも良き案内書を携帯して、街道を歩いてゆきたいと思います。

「おわり坂」頂上から望む

上神谷周辺を歩く

2011年3月31日 木曜日

昨日、フォレストガーデンから上神谷方面へ、春の陽気に誘われて歩いてみました。市民菜園の休憩所から遊歩道を、展望台・わんぱく広場を抜けて富蔵地区へと向かいます。遊歩道の脇にコブシの花が咲いていました。 

コブシの花

 富蔵の段々畑の中腹に、こんもりとした森が見えます。集落への道を登ってゆくと、鳥居のある感應寺に着きました。境内の森の中に「モミの木」の大木がそびえていました。樹高18m・幹周り1.3mというりっぱ「堺指定保存樹木」でした。            当寺院は上神谷妙見山といい、江戸時代から能勢・星田妙見と共に、大阪の三大妙見山として信仰を集めたという。(案内板) 

モミの木(指定保存樹木)

さらに富蔵地区を抜けると上神谷の田畑の広がる一帯に出ます。また堺の「里山」といわれる畑・鉢ヶ峯の雑木林も見渡せます。

畑地区の里山