‘街道めぐり’ カテゴリーのアーカイブ

高野街道・紀見峠へ(2)

2012年6月13日 水曜日

●南海高野線・千早口駅近くで昼食を済ませた後、紀見峠越えをめざす。千早口集落をぬけ、松明屋(弘法大師が高野山を開く為に立ち寄ったところとのこと)から、再び廃線の“なんてんの道”を上がってゆく。途中「七里石」のある国道を眺めたり、天見小学校~南天苑の説明を聞く。天見駅で小休止のち国道371号線・歩道を進む。

国道371号線・右手が旧国道

●正面の高い峰の上が紀見峠である。ウォークの参加者は黙々としっかりとした歩調で上がってゆく。対面二車線の旧国道のつづら折の道を何回か繰り返す。山あいには「マタタビ」の木が、白いまだらの葉で一面に繁っていた。                                       やがて、山の稜線が切れ、空が明るく広がっている所に出た。「紀見峠」(標高400m)である。

紀見峠

●峠には「六里石」の石柱が立っていた。昔は「紀伊見峠」と言われ、「番所」や「旅籠」が置かれていたとのこと。また、数学者・岡潔博士(1901年~1978年)は幼少時代をこの地で過ごしたという。明治期には70戸あった集落も、現在は20戸足らずの静かな集落となっているとのこと。

岡潔生誕の地

●峠の集落を抜け、雑木林の森の急な山道を下りきると、紀伊・高野山の山並みが見渡せる場所に出てきた。雲で全容は望めないが、峠を越えた実感が沸いてきた。終着地の紀見峠駅もあと僅かである。

峠の集落・高野街道

高野街道・紀見峠へ(1)

2012年6月10日 日曜日

●昨日(6月9日)、「高野街道にぎわい再発見プロジェクト実行委員会」(堺・大阪狭山・河内長野・橋本各市観光協会後援)による高野街道を巡るウォークに参加した。河内長野駅から西條酒造~烏帽子形八幡神社を通り、三日市宿へと入ってゆく。三日市村役場跡、月輪寺、油屋本陣跡等をみる。油屋跡は高野山御用宿として栄え、幕末には天誅組が五条へ向かう際に立ち寄ったという。街道の両側には当時を彷彿させる古い住宅が建ち並んでいた。

三日市宿の町並み

●三日市町駅(南海高野線)の駅前広場に「三日市北遺跡」の案内板があった。駅前再開発事業の際、弥生時代中期後半(約2000年前)の集落遺跡が発見されたという。31棟の竪穴住居や3棟の掘立柱建物跡、大量の弥生土器・石器等が出土したとのこと。駅前を南に進めると、石見川に架かる橋の袂に「八里石」の石柱があった。

三日市北遺跡案内板

●更に、国道371号線から左側の高架橋を渡り、美加の台住宅地の麓を歩く。美加の台駅裏の田圃道から旧高野線・廃線跡の「なんてんの道」を行く。案内役の観光ボランティアの方の話では、国道の交通量も多く安全を考え、この廃線を利用することにしたとのこと。途中、下岩瀬の棚田、天見富士や天見川の渓流を見ながら天見の里を進める。

天見富士と下岩瀬の風景