‘寺院’ カテゴリーのアーカイブ

高野街道・極楽橋へ(1)

2012年10月16日 火曜日

●13日(土)、第6回高野街道・学文路~極楽橋ウォークに参加した。参加者約100人と言われ、先発の第1班(20人)の一員として出発する。さっそくかなり急な、狭い坂道を登ってゆく。街道沿いに石垣の家が段々となって集落を形成している。玉屋旅館跡~苅萱堂に着く。苅萱道心と石童丸の父と子の縁を断ち切って、仏門に入り修行をするという石童丸物語のゆかりの寺という。観光ガイドの方の説明がとてもよい。

苅萱堂(西光寺)

●山の斜面を利用して、幾重にも柿の木が植えられている。早生の収穫も始まっているとのこと。山の上近くに来たのだろうか、集落が見えてきた。まさに「天空の集落」の様であった。

天空の集落と柿畑

●第三の地蔵から繁野集会所横を登り、数軒の集落に着く。その片隅に「大師の硯水」という井戸があった(標高256m)。第四の地蔵をすぎ、急勾配の道を下りると河根地区に入る。河根丹生神社、元本陣・中屋旅館を見学。江戸時代には旅籠や茶店が建ち並び賑わっていたという。総ケヤキの門が当時を偲ばせてくれる。体育館で昼食。

元本陣・中屋旅館

高野街道・学文路へ(1)

2012年9月17日 月曜日

●9月15日(土)、「高野街道にぎわい再発見プロジェクト」主催の第5回高野街道・紀見峠駅~学文路(かむろ)駅までのウォークに参加した。南海高野線・紀見峠駅前で受付を済ませ、先頭グループとして出発する。駅前の集落を抜け、国道371号線を横切り高野街道に出る。幅1間位の道は山裾を縫うように下っている。街道の雰囲気がでてくる。

高野街道(慶賀野地区)

●やがて、「慶賀野蛭子神社」に着く。街道横の山裾にある。鳥居をくぐると、小さな祠が山の斜面に建てられていた。村の産土神として祀られているという。

慶賀野蛭子神社

●街道は国道と合流する。橋谷地区手前に「五里道標石」立てられていた。更に橋谷地区の町並みを抜け、「胡痲生(ごもう)相賀八幡神社」に立ち寄り、橋本市街地に入ってゆく。                             狭い路地の奥に「応其(おうご)」があった。安土桃山時代から江戸時代初頭に真言宗の僧、木喰(もくじき)応其上人が再興したという。天正13年(1585)秀吉による紀州攻めに和平交渉の使者として、高野山を兵火から救ったとのこと。また塩市を始めて、現在の橋本の礎をつくったという。部屋をお借りして、昼食をとる。(感謝)

応其寺