●先日、友人たち(いきいき堺市民大学2期生)と“堺まちあるき”をした。今回は堺東駅(南海高野線)から北西部の古い町並みを散策してみました。妙国寺を過ぎ、本願寺別院に着く。明治4年から10年まで「堺県庁」であったという。本堂は堺最大の木造建築。その側に与謝野晶子の歌碑があった。 「劫初より作りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘ひとつ打つ」
●感応寺、十輪院など多くの寺院の並ぶ街かどを抜け、山口家住宅へ。江戸時代初期に建築された町家で、昭和41年国の重要文化財に指定されたとのこと。主屋は奥座敷・西座敷・大小の和室・広い土間等々が配置されていた。二つの土蔵、庭園も見学することができた。
●チンチン電車の通る広い大道筋を北に上がる。水野鍛錬所や鉄砲鍛冶屋敷のある街区の一角に「清学院」がある。清学院は修験道の寺院で、江戸後期から明治初期には寺子屋としても使われていたという。河口慧海はここで学んだとのこと。後に明治33年(1900)チベットに入り、仏教についての研鑽をつみ、仏教の正しい理解と普及に努めたという(パンフより)。院内には寺子屋の机・硯・そろばんなどが並べてあり、当時の様子が思い浮かばれます。