‘神社’ カテゴリーのアーカイブ

上神谷だんじり祭・宵宮

2012年10月6日 土曜日

●今日(10月6日)、“上神谷だんじり祭り”宵宮が、午後2時ごろから行われた。泉北1号線沿いのNTT・大阪ガス(泉北)付近(南区豊田南バス停)で各地区の地車が勢揃いしていた。栂、釜室、片蔵、豊田、泉田中の各地車が順番に繰り出し、だんじりが始まる。

栂のだんじり

●交差点のコーナーを、スピードを上げ通り抜ける「曳き廻し」は、迫力あるものでした。大勢の見物の人たちの喝采を浴びて、さっそうと走りすぎてゆきます。

片蔵のだんじり

●また、泉田中のだんじりは地車が祭りを祝っているかのように、廻ったり前後を持ち上げるような振舞いが繰り広げられていました。「エイサー」「ホイサー」の掛け声で、ハッピ姿の女衆も側で踊って盛り上げていました。あす(7日)は、桜井神社での宮入・宮出があります。その後「こおどり」の奉納も行われます。

泉田中のだんじり

高野街道・学文路へ(1)

2012年9月17日 月曜日

●9月15日(土)、「高野街道にぎわい再発見プロジェクト」主催の第5回高野街道・紀見峠駅~学文路(かむろ)駅までのウォークに参加した。南海高野線・紀見峠駅前で受付を済ませ、先頭グループとして出発する。駅前の集落を抜け、国道371号線を横切り高野街道に出る。幅1間位の道は山裾を縫うように下っている。街道の雰囲気がでてくる。

高野街道(慶賀野地区)

●やがて、「慶賀野蛭子神社」に着く。街道横の山裾にある。鳥居をくぐると、小さな祠が山の斜面に建てられていた。村の産土神として祀られているという。

慶賀野蛭子神社

●街道は国道と合流する。橋谷地区手前に「五里道標石」立てられていた。更に橋谷地区の町並みを抜け、「胡痲生(ごもう)相賀八幡神社」に立ち寄り、橋本市街地に入ってゆく。                             狭い路地の奥に「応其(おうご)」があった。安土桃山時代から江戸時代初頭に真言宗の僧、木喰(もくじき)応其上人が再興したという。天正13年(1585)秀吉による紀州攻めに和平交渉の使者として、高野山を兵火から救ったとのこと。また塩市を始めて、現在の橋本の礎をつくったという。部屋をお借りして、昼食をとる。(感謝)

応其寺