‘自然の風景’ カテゴリーのアーカイブ

高野街道・極楽橋へ(2)

2012年10月19日 金曜日

●昼食を終え、河根の「千石橋」を渡る。深い森の中に急勾配の作水(さみず)坂が壁のように続いている。街道きっての急坂で、昔は年寄りの背中を子ども達が押して、お駄賃をもらったとのこと。何回かの小休止をとりながら登ってゆく。やがて桜茶屋近くまできた。振り返ると河根地区とその向こうに和泉葛城山系を望むことが出来た。

河根と和泉葛城山系

 ●杉の木立やコナラ等の雑木林の中を登る。日本最後の「高野の仇討ち」場所に着く(標高520m)。明治4年(1871)赤穂藩のお家騒動が発端で仇討ちがあり、2年後の明治6年に仇討ち禁止令が出されたという。

「高野の仇討ち」案内板

●神谷地区に入る。花屋旅館跡と数戸の集落であった。昭和4年にケーブルカーや極楽橋駅までの電鉄ができるまでは、宿場町として大いに繁栄したという。ゴールの極楽橋駅に午後3時に着いた。標高538m、歩行距離10.9km。

花屋旅館跡

高野街道・学文路へ(2)

2012年9月20日 木曜日

●昼食を済ませ旧橋本商店街を抜け、橋本川と紀の川との合流地に出た。そこに「東家(とうげ)渡場大常夜燈篭」があった。応其上人が天正15年(1587)橋本の地名となった橋を架けたが、3年後に増水により流失し、舟による横渡が行われるようになったとのこと(パンフより)。そのとき建てられたのが、この大常夜燈籠であるという。近くには「四里道標石」も立てられていた。

東家大常夜燈籠

●紀の川の大河を渡り、堤防を進むと「三軒茶屋と大常夜燈篭」に着く。茶屋や旅籠が軒を並べていたという。観光ボランティアによる、当時の衣装を着ての説明がありました。

橋本橋と紀の川

●街道は清水の街並みを進み、「西行庵」と高野六地蔵の「第一の地蔵」を見学。さらに下って行くと、「萱野家」と「くにぎの郷」に着いた。萱野家は上級僧侶や武士が宿泊する「お宿」であったという。その隣りのくにぎの郷にて、ティータイムです。アイスコーヒーで一服!

くにぎの郷

●街道を清水不動寺~成就寺~第二の地蔵」を巡り、学文路地区に入る。「かむろ大師」前には「三里道標石」があった。高野山まであと14km、急峻な山道を登らねばならない。次回以降のウォークを楽しみにしたい。今日の終点「学文路駅」に到着した。

学文路駅