●昼食を終え、河根の「千石橋」を渡る。深い森の中に急勾配の作水(さみず)坂が壁のように続いている。街道きっての急坂で、昔は年寄りの背中を子ども達が押して、お駄賃をもらったとのこと。何回かの小休止をとりながら登ってゆく。やがて桜茶屋近くまできた。振り返ると河根地区とその向こうに和泉葛城山系を望むことが出来た。
●杉の木立やコナラ等の雑木林の中を登る。日本最後の「高野の仇討ち」場所に着く(標高520m)。明治4年(1871)赤穂藩のお家騒動が発端で仇討ちがあり、2年後の明治6年に仇討ち禁止令が出されたという。
●神谷地区に入る。花屋旅館跡と数戸の集落であった。昭和4年にケーブルカーや極楽橋駅までの電鉄ができるまでは、宿場町として大いに繁栄したという。ゴールの極楽橋駅に午後3時に着いた。標高538m、歩行距離10.9km。