●先月のことですが、地域の“福祉教養講座”で「病気は何故起こるか、病気と老化の予防法」と題して、漆崎伊智代先生の講演がありました。 病気は、・もって生まれた体質・生活習慣やストレス・日常生活の考え方(マイナス思考)などによって起こりやすいという。その予防には適度の運動が必要とのこと。 リンパ腺を刺激する(顎・顔・鎖骨・腋の下・内股等)。でんでん太鼓体操。 ストレッチ体操。直立し両手を前に伸ばし、そのまま腰を落とす(スクワット)体操を10回位繰り返す。また呼吸法(深呼吸)、体の姿勢、モーツアルトの曲を聞くこと等でゆったりとした時間をつくる。 それらの運動・体操を毎日心がけることが「病気と老化」を防ぐことになるという講演でした。私もいくらかを挑戦中です。
「病気と老化の予防法」の話
2011年4月13日“西高野街道”を行く(2)
2011年4月9日●西高野街道の「十二里石」を南に下ると、中茶屋地区にきます。関茶屋と同じように街道沿いに、茶屋があったことが地名の由来となったとのこと(西高野街道ガイド小冊子より)。そんな街道に面して、大きな「くすの木」(堺市指定保存樹木)と白い土壁のある「興源寺」に着きました。案内板によれば奈良時代に行基が開いたと伝えられている。本堂には「木造不動明王立像」(堺市指定有形文化財)が安置されています。
●福田から陶器北地区の緩やかな上り坂の街道を進むと、岩室地区の「十一里石」に着きました(中百舌鳥駅より約6.4km)。石柱には「安政四丁巳年二月」と記されていました(1857年2月)。
●府道堺狭山線との岩室交差点を渡り、狭い道をぬけて、天野街道との分岐点に着きます。大阪狭山市今熊地区をしばらく歩くと急な下り坂に出てきました。遠くに金剛山・葛城山等の山々が見渡せます。 この坂道は「おわり坂」と言われています。「街道ガイド」小冊子によれば、江戸時代後期の狭山池改修で働いた「尾張衆」が坂の名前になったとのこと。また、急勾配の坂道を荷車に「追われ」て下ったり、坂を上がりきって「おわり!」と一息ついたのが地名の由来ともいわれているという。 「西高野街道ガイド」小冊子の編集後記によれば、ブログ講座(2期)の講師であった陸奥 賢氏が編集されています。これからも良き案内書を携帯して、街道を歩いてゆきたいと思います。




