●「第2回愉快・爽快・空海ウォーク」で見かけた堺の街の中で、「長尾街道」沿いには歴史的な役割をした寺院や古社があります。 「方違神社」(堺区北三国ヶ丘町)は紀元前80年頃が起源といわれ、「平安時代から流行した方違(かたたがえ)信仰に基づき、転宅・新築など方角の厄や災難よけ・・」(主催者資料)などで参拝者が訪れるという。あまり広くない境内には多くの人たちで賑わっていました。
●街道を西に進めると、妙国寺(堺区材木町東)がありました。境内には織田信長をも恐がらせた大蘇鉄の伝説が残るお寺でもあります(堺市パンフ)。大蘇鉄は「国の天然記念物」となっています。また、堺事件での土佐藩士11烈士切腹の地であるという。
●さらに、少し北へ進むと、堺最大の木造建築である「本願寺堺別院」(堺区神明町東)があります。1868和泉国が堺県となった時、当院に県庁が置かれたという。その後、河内国や奈良県も合併し、1881年大阪府に吸収されるまで、堺県庁として使用されたとのこと(堺市パンフ)。明治初期の廃藩置県の名残か、堺ブランドの表れなのか、歴史の大胆さを見ることが出来ました。