2012年9月 のアーカイブ

高野街道・学文路へ(2)

2012年9月20日 木曜日

●昼食を済ませ旧橋本商店街を抜け、橋本川と紀の川との合流地に出た。そこに「東家(とうげ)渡場大常夜燈篭」があった。応其上人が天正15年(1587)橋本の地名となった橋を架けたが、3年後に増水により流失し、舟による横渡が行われるようになったとのこと(パンフより)。そのとき建てられたのが、この大常夜燈籠であるという。近くには「四里道標石」も立てられていた。

東家大常夜燈籠

●紀の川の大河を渡り、堤防を進むと「三軒茶屋と大常夜燈篭」に着く。茶屋や旅籠が軒を並べていたという。観光ボランティアによる、当時の衣装を着ての説明がありました。

橋本橋と紀の川

●街道は清水の街並みを進み、「西行庵」と高野六地蔵の「第一の地蔵」を見学。さらに下って行くと、「萱野家」と「くにぎの郷」に着いた。萱野家は上級僧侶や武士が宿泊する「お宿」であったという。その隣りのくにぎの郷にて、ティータイムです。アイスコーヒーで一服!

くにぎの郷

●街道を清水不動寺~成就寺~第二の地蔵」を巡り、学文路地区に入る。「かむろ大師」前には「三里道標石」があった。高野山まであと14km、急峻な山道を登らねばならない。次回以降のウォークを楽しみにしたい。今日の終点「学文路駅」に到着した。

学文路駅

高野街道・学文路へ(1)

2012年9月17日 月曜日

●9月15日(土)、「高野街道にぎわい再発見プロジェクト」主催の第5回高野街道・紀見峠駅~学文路(かむろ)駅までのウォークに参加した。南海高野線・紀見峠駅前で受付を済ませ、先頭グループとして出発する。駅前の集落を抜け、国道371号線を横切り高野街道に出る。幅1間位の道は山裾を縫うように下っている。街道の雰囲気がでてくる。

高野街道(慶賀野地区)

●やがて、「慶賀野蛭子神社」に着く。街道横の山裾にある。鳥居をくぐると、小さな祠が山の斜面に建てられていた。村の産土神として祀られているという。

慶賀野蛭子神社

●街道は国道と合流する。橋谷地区手前に「五里道標石」立てられていた。更に橋谷地区の町並みを抜け、「胡痲生(ごもう)相賀八幡神社」に立ち寄り、橋本市街地に入ってゆく。                             狭い路地の奥に「応其(おうご)」があった。安土桃山時代から江戸時代初頭に真言宗の僧、木喰(もくじき)応其上人が再興したという。天正13年(1585)秀吉による紀州攻めに和平交渉の使者として、高野山を兵火から救ったとのこと。また塩市を始めて、現在の橋本の礎をつくったという。部屋をお借りして、昼食をとる。(感謝)

応其寺