2010年12月 のアーカイブ

一年を振り返る

2010年12月29日 水曜日

今年もあと2日。ブログを始めて一年経ちました。印象に残った町かどの風景をあげてみました。

そのひとつは、上神谷小学校にある与謝野晶子「たけ狩」の文学碑と田園風景をあげたいと思います。大正時代の泉北丘陵の風景が想い浮かんできます。 「松茸狩り」に夢中になれるほどの松林と里山に復活させてみたいものです。

文学碑

(2)「いきいき堺市民大学」での受講も意義深いものがありました。「新しい公共」、NPOによるボランティア活動、「堺の歴史」、「堺の経済活性化」等々多種多様な分野で活躍している方々の講義を直接聞けたことでした。

府立大学

(3)また「三朝温泉残照」記事の木下利玄の歌碑でした。三朝川のたもとにひっそりと、幾分苔むした岩石に、歌が刻まれていました。当時の温泉の情景が歌に表れていました。

三朝温泉

その他にも、ブログに投稿した記事には、一つひとつ町かどの風景として印象に残っています。この機会を与えていただいた関係者の方々に感謝したいと思います。ブログカフェに集まった仲間たち、また閲覧していただいた皆さんに感謝申し上げます。みなさん、よいお正月をお迎えください。 \(^0^)/~~

“須恵器の謎”を解く

2010年12月23日 木曜日

●12月19日(日)、南図書館(堺市南区茶山台)主催の「地域講座」がありました。「日本最初の陶磁器・須恵器の謎」と題した、森村健一氏(堺市立すえむら資料館)の講演を聞きました。

南図書館

●森村氏は、泉北ニュータウン周辺の丘陵地において約1550年前から須恵器の生産が始まり、その後平安時代に活動停止するまで500年間日本最大の須恵器生産地であったという。「陶邑(すえむら)窯跡群」と呼ばれ、窯跡数が約1000基あり、須恵器2585点が重要文化財に指定されています。陶邑というのは『日本書紀』の「茅淳県(ちぬのあがた)陶邑」から名づけられたとのこと。

「須恵器の謎」講演

●注目したのは、従来「登窯」としていた表示が「窖窯(あながま)」に改められたことでした。それは山の急斜面を掘り込んで、窯を造ったことに由来するとのこと。「登窯」が地面から造るため、窯にヒビが出来易く、空気が入り込み「酸化焔」となります。それに対して、「窖窯」は空気を遮断するため「還元焔」になり、より堅くて丈夫な須恵器の生産が可能になったと言う。

栂TG61号窯

●講演終了後、大蓮公園にある「堺市立すえむら資料館」へ見学に行きました。途中、移築復原された「栂TG 61号窯」の説明がありました。館内では、初期須恵器の展示コーナーから、年代ごとの第Ⅰ形式(5世紀頃)~第Ⅴ形式(平安時代頃)までの須恵器が展示されていました。又、森村氏から丁寧な説明があり、受講者の人達も遙か古代の陶邑に思いを馳せて、熱心に聞き入ってました。(参照:2009年11月26日記事)

パンフレット