恒例の「堺刃物まつり」が開催されます

2012年2月2日

 毎年この時期に開催される「堺刃物まつり」が2月11・12日堺市産業新興センター(南海電車高野線、中百舌鳥駅徒歩5分)で開催されます。

 刃物の展示と即売、古式鍛錬(機械化される前の昔の村の鍛冶屋さんの鍛冶仕事の仕方)の実演、研ぎ方コーナーだけでなく、新鮮な魚・野菜の販売、そば打ち実演・販売、健康相談等もあります。研ぎ直せば使えるもの、柄を付け直したいもの、切れ味の鈍った鋏など、一度プロに見てもらってはいかがでしょう。

下の写真は「広報さかい」2月号から転載しました。

辰年のブログカフェが始まりました

2012年1月18日

いよいよ辰年のカフェが始まりました。今年こそ少しでも見やすいブログが発信できるよう、またこまめに更新できるよう励みたいと思います。

すまいるセンターでの講座風景

会場のすまいるセンターはNPO法人すまいるセンターが運営しています。NPO法人すまいるせんたーとは南区役所と共同で 市民活動をしてみたい個人 の方に登録を呼びかけています。活動への参加はあなたの新しい生活スタイルを導くことでしょう。興味のある方思いきってはいちど申し込んでみてはいかがでしょう。

  NPO法人すまいるセンター http://www.smile-center.jp   電話072-299ー2323

堺の昔の街並みの絵が展示されています

2012年1月6日

 堺市の住民で商人であり画家でもあった岸谷勢蔵氏(1899-1980)が残した、昔の堺の様子がわかる絵が堺市博物館で展示されています。なかでも昭和19年(1944)堺市の依頼により、宿院の建物疎開前の景観を描いた疎開地区記録は、戦前の堺の町の様子を知る上で貴重なものだそうです。堺市博物館を訪ねて堺の町の豊かさを見て見ませんか。展示は2月5日(日)まで。展示品解説は1月22日(日)14時から行なわれます。博物館は大仙公園内にあります。最寄駅は阪和線百舌鳥駅より徒歩6分。

奈良西吉野の柿博物館

2011年11月22日

 8月28日に脳梗塞を発症して入院。その後退院して2か月余、再発がないよう毎日欠かさず薬を飲み、水を呑み、ウォーキングをし、食事は魚野菜中心の減塩食事。アルコールは全くた呑まない。といった毎日である。おかげさまで軽症であったので、ふら付きはあるものの以前の様に歩ける。自転車に挑戦したところ全く違和感なく乗れたの郵便局などは自転車で行っている。自動車運転は自動車学校の先生に横に乗ってもらって技量を見てもらったところマルであったので、駅までたまに家族の送り迎えを行なっていた。 

 このような単調な日常を送っている時、奈良県西吉野の柿博物館へ行こうと云う話が出た。いつでも運転を交代できる様に妻に横に乗ってもらい意を決して行ってみた。片道約1時間、結果は何事もなくいってくることができました。 国道310号を河内長野から金剛トンネルを通って五條へ。さらにそのまま吉野川を「越して南へ数キロ。やがて柿博物館への案内がありそれに従って行くと苦も無く到着。明日23日は柿祭りとかでいろいろ準備していたが博物館見学には支障がなかった。 

博物館全景

 

柿の種類の実物が展示されていた

 

柿渋を使った製品

 

  

中にはいろん種類の柿の実の実物が展示されていた。後でちかくで作業をしている方に聞くと全国に約7000種類もあると聞き驚いた。 また、昔から柿から取れる柿渋で防水紙とか渋うちわとか、染物等が展示されていた。 

選果場内風景

 

直売所全景 キャンペーンポスター

 

選外品を選定中の人

 

  

                                                                                                                                                                                                                            この博物館の近くに柿の共同選果場があり、選外品は一般販売していることを知りそこへ行くこととした。数分で到着。既に多くの車が来て直販所は大変賑わっていた。正式に箱詰めされたものから、選外だが十分販売に耐えられるものまでいろいろあった。選外だが程度の傷の有無、熟し過ぎ、虫喰いや変形の違いによって、キロ当たり100円~300円までいろいろ。わが家と2階の息子一家用に選外品を手に入れて帰ってきた。自分で無事帰ってこられたことから、少しは行動範囲を広げても良いのかなと、明るい気分です。 

 

お久し振りです

2011年10月20日

入院していたのこともあり二か月欠席した後のブログカフェに出席し、懐かしい面々にお会いできてうれしいです。出席者が10名で大盛況でした。

脳梗塞のこと(2)

2011年10月15日

 脳梗塞くを発症して24日入院。退院して26日。その間このブログを読んだ人や多くの知りあいから、電話やメール、はがき等で励ましの便りをいただきました。ありがとうございます。近況を記してお礼の言葉に代えさせていただきたいと思います。

 体はふらついたり左方へ少し体がよたったりしますが、両手足、言語、視野は正常でほとんど障害が残っていません。したがって家の中での生活は敏しょう性は少なくなったかもしれませんが、風呂、トイレ、洗面など以前と同じです。リハビリの散歩は午後の2kmを欠かさないようにしています。昨日は電車に乗って堺東まで出かけ堺市役所21階から展望を楽しみました。生憎の曇天で景色は今一でしたが、帰路食堂に入ってお昼を済ませて帰りました。ちょっと不安はあるものの無事帰宅できました。駅待ちの時、ホームで線路に近づこうとした時、線路に吸い寄せられる様によたりが生じたときはびっくりしました。不都合と言えばこれ位で全体に敏しょう性はなくなりましたが、杖も用いず行ってくることができました。

 一昨日は近くの掛り付けの医院へ行って、脳梗塞で地域の中核病院に入院していたことを話しました。そしてこれからは中核病院ではなくこのかかりつけ医院で薬を出してもらうことになりました。その時発症した時の様子を詳しく話してくださいと言われあの日のことを思い出しながら話しました。8月27日に昔の友人たちと昼食会。その日は夕食を摂らずに少し早く就寝。その次の28日日早朝発症したことを話した。

 先生の診立ては、前日の昼食時にアルコールが入った状態で(アルコールは液体ではあるが水分ではなく、逆に利尿作用がある)、夕食もとらず早めに寝た(水分を撮っていない)。夜中にトイレに起きたが水分を摂らずに朝まで。そして8月ですからまだ暑くて汗をかいたであろう。早く言えば軽い脱水状態(血ががどろどろになっている)になって脳の血管がつまるんですよ。と言われた。その後インターネットで調べてみると脳梗塞発症の多くは6~8月の起床間もなくだとか。寝る前とかトイレに起きた時に水を飲んでおけば発症しなかったかもしれないですよと言われました。

 ネット内には多くの脳梗塞のことが出ています。脳梗塞を発症すると、以後何回も発症することが多いので気を付けなければいけない。そして発症するたびに重症になる。そうならないためには薬はきっちり飲む、適度な運動、野菜中心の食事、食べすぎない、酒は減らすかやめる。煙草はやめる。高血圧、高脂血しょう、糖尿病、コレステロール等成人病もちはたいへん。

 脳梗塞の原因は色々ある様ですが、小生(やや高血圧、やや高脂ですが薬は飲んでいない。糖尿病は無い)の様な場合、、就寝前のコップ一杯の水で防ぐことができるとあれば、大変悔やまれます。いまは再発しないよう頑張るのみです。 いったん脳梗塞を起こすと本人だけでなく、周りの家族も巻き込んで長い長いリハビリ生活が続きます。そのことを考えると脳梗塞をよく知ることで発症を避けられるかもしれません。幸いネットに沢山の脳梗塞情報がでていますから、知識を吸収して脳梗塞にならないよう心がけていただきたいと思います。

脳梗塞発症時のようす

2011年9月30日

 入院していましたのでしばらく間隔が開きました。これまでも間隔は短いとはいいがたかったが、できるだけ公開をやっていきたいと思います。今回は8月末に脳梗塞を発症した時の様子についてのべます。何かの参考になればいいと思います。

 8月末ごろの早朝5時ごろめをさました。こんな時寝床の中で腹這になって本を読んでいた(こんなことはよくある)。しばらくすると眠くなってきたので仰向けになって目をつむっていた。その時何だか気分が悪くなってきた様な気がした。横になっているのに何故と思いながらのでトイレへ行こうとして立ちあがた。バランスが崩れてうまく立てない 「?」 である。だが強引に立ち上がり壁に手を当ててもたれながら壁伝いにトイレへ行った。前日の昼、親しい人たちが寄って昼食会をやった後なので、夕食は食べてなかったから、いくら嘔吐しても出るものがない。寝床へ戻るには四つん這い(?)であった。でもやはり吐き気がする。こんなこと3~4回ぐらい繰り返した。もしや脳梗塞ではと思い、ふとんの上に胡坐をかき手足のしびれを確認したが何ともない。しゃべり方を家内に聞いてもらったがいつもと同じと言う返事だった。これは脳梗塞ではないぞ。また「?」である。そのうちに眠くなってきたので横になった。ところが夜が明けてきたからか天井の照明器具(直径5~60cm)が一つしかないのに左右に広がっては二つに見え、戻っては一つになり、又左右に広がっては一つに見え、視点が定まらない。日曜日でもあるし救急車どうしようか。考えている間に家内がある病院へ電話してくれた。休日であるが内科の外来はやっているということなので、家内に乗せて行ってもらった。家の玄関から車までは何かにつかまりながら自分で乗ったが、病院の玄関から内科までは車いす。私の番がきたので事情を話すと、CT,MRIの撮影。いずれの写真からも異常は認められない。昨夜から何も食べていないので点滴をするがこれが終われば帰宅するようにと言われた。症状が軽くなったわけでもないのに心細いことであった。しかし点滴途中医師や看護師が何回も容体を訪ねてくれ、その時もやはり人差し指が二本の見える事や懐中電灯で目を覗きこんで異常があることを見つけてくれたのか、今夜は入院しましょうと言ってくれた。あの症状のままの帰宅に不安があったが、入院を言われた時はどこかこれで安心と胸をなでおろしました。病室の近くの車いす用トイレでは車いすから便器へ移動するのもたいへんな状態であった。

 それから3週間余。先生の診立て、手厚くて行きとどいた看護師さんの看病、リハビリの先生等のおかげをもちまして退院できました。現在は両手足にしびれなし、言葉明瞭、目に異常なしで家の中では殆ど以前と同じ状態で生活できています。リハビリのために家の裏の遊歩道を歩いていますが、時々ふら付いてバランスをくずしたりしますが杖は使わずに歩けています。病院の方々に感謝感謝であります。これからはリハビリに努め早く一人で外出できるようになりたいものと思っています。

大浜公園から全国に向けてラジオ体操が放送されます

2011年8月15日

 まだラジオが高級品であったころ(昭和初期)、NHKは全国にラジオ塔(街頭ラジオの様なもの)を設置してラジオの普及を図りました(当時の放送はNHKだけで民間放送はありませんでした)。大阪では天王寺公園や堺の大浜公園などです。その大浜公園にこの程ラジオ塔が復元され、記念事業として表記ラジオ体操が堺の大浜公園から全国へ向けて放送されます。8月25日(木)です。朝早いですが興味のある方は大浜公園へ出かけて行ってラジオ体操をやってみませんか。 詳しくは http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_koho/pub1104/0401_01.pdf等をご参照ください。

大浜公園蘇鉄山の麓にある初代ラジオ塔

復元工事中のラジオ塔(平成23年春ごろ)

もうすぐ堺の大魚夜市! みんなで行こう!

2011年7月21日

 大魚夜市 : 大阪の夏祭りは、愛染祭にはじまり 天神祭と続き トリは住吉祭で終わる。住吉大社の夏祭の神輿が堺の宿院神輿の御旅所・堺は住吉大社の氏子)まで渡御する際に、漁師が魚を持ち寄り神前に奉納したことに由来し、およそ700年の歴史を誇る「堺の夏の風物詩」。箸と庖丁で直に魚に触れずにさばく「庖丁式」などの催しや、約400店の夜店など、約20万人以上の来場者で盛り上がります。 

 

 

 

 

 

 場所は大浜公園 : 南海本線「堺駅」から歩いて10分?ぐらい。  夜市に少し遅れて旧堺港周辺で花火の打ち上げが始まります。旧港の周辺からよく見えます。今年は日曜日です。夕涼みを兼ねて家族みんなででかけてはいかがでしょう。

 そして次の日(8月1日)は盛大な住吉祭りです。住吉大社を出発した神輿は紀州街道を通って大和川に入り川を南に渡って宿院頓宮(御旅所)を目指す。見ものですよ。

柳沢文庫(大和郡山市)へ行ってきました

2011年7月13日

 大和郡山城はかつては大納言豊臣秀長の城であったが、徳川の世の1724(享保9)柳沢氏が転封されてきて以来柳沢氏の居城となり、明治までつづいた。その間、何名かを柳生家の養子に送り、柳生家の継続に役立っています。その柳生家の関係者が、鳥羽伏見の戦いに行く途中、現在の井手町(京都と奈良の中間)あたりで聞いた戦況を認めて藩へ送った手紙が、この程発見され柳沢文庫(郡山城址内)で展示されていることを新聞で知ったので行ってきた。 

書状を紹介する新聞記事では、薩摩・長州・土佐藩が、奉行所、新撰組、幕府、会津藩の4000人と交戦した結果、「終(つい)ニ幕勢敗走」し、「奉行所為兵火焼失」(=幕府軍が敗走し、奉行所が戦いで焼失した)と記し、大坂から救援に来た幕府軍の船も砲撃で沈み・・・・。とあるそうだ。残念ながら私にはくずし字が読めません。145年前の歴史として中学時代と高校時代に習ったことがらであるのに・・・。現代文に翻訳された文がフリカナの様に書いてくれていましたから内容を理解できました。読んでいるうちにその時代に居るかの様な錯覚やら・緊張が走りました。9月18日(日)まで展示してしていますので、興味ある方は柳沢文庫まで行かれてはいかがでしょう。

 

7年前まで郡山市に住んでいたので懐かしい思いでその辺りを歩いてみた。ここの桜は奈良では名高いところである。20年ほど前長男の入社式が、4月1日に東京新宿であったので一番電車に乗せるため近鉄郡山駅まで家族全員で送った事がある。そのあと朝早くて誰もいない城跡の満開で見事な桜を見た見たことがあります。忘れられない思い出です。今は夏草が生えているところが多いが、ここの梅林も見ものである。梅の実はすべて取られてしまうのですが、なぜか一本だけ色づいた梅の実が鈴なりなのがありました。子どもの頃の様に取って食べてみたいと思いましたが・・・・・。