11日に堺市立町屋歴史館で国の重要文化財である 山口家住宅(国内最古級の民家ーー大坂夏の陣直後の建築ーーで築約400年)へ行ってきました。季節の花菖蒲を生けられていました。もともとからあの紫色が好きな私なので、雨模様で入館者も少なかったのでゆっくりながめてきました。興味のある方は行かれては如何でしょう。季節のものなので何時まで生けられているのか分かりません。(場所はチンチン電車「綾ノ町」の近く堺市堺区錦之町東1-2-31、電話072-224-1155、休:火曜日、入場料:200円。ただし65歳以上、中学生以下、障がい者は無料)
2011年6月 のアーカイブ
山口家住宅に季節の花が生けられていますよ
2011年6月13日 月曜日一字違うと大違い
2011年6月8日 水曜日先日、早朝のラヂオ放送、1179MHz MBSの 子守康範の朝からてんこもり を聞いていたとき、リスナーからの投書で、番組HPに女性の相棒さんの おだ しずえ さんの「ず」が「す」になっており おだ しすえ と なっています。お出汁吸えと読めるので気になります。とのことでした。さっそく修正しますという子守さんの言葉で終了した。たったこれだけのことだが、小生は過去の失敗を思い出した。
頃は昭和30年代中頃、当時はJRは国鉄と言っていた。東京へ行くには大阪駅から特急か急行に乗っていくのが普通であった。8~9時間ぐらいはかかったと思う。したがって午後9時ごろから12頃までは九州や中国地方からの列車も含めて夜行の東京行き列車が多く走っていた。そんな頃、職場で宿直をしていたある日の夜中、電報配達員さんに起こされた。受け取った電報は所長あてで、文面は「ミトウシヨシスキハラ」となっていた。電文は一字いくらという字数で費用が決まったのでできるだけ短くしたと思う。小生はこれを「ミトウシヨ シス キハラ」と解釈した。みと うしよ さんが亡くなったことを木原さんが知らせてくれたのだと。二十歳すぎの若僧、未熟だが業務としてお知らせしなければと思い、夜中ではあったがどきどきしながら所長(定年少し前で普段は遠くからお顔は見ていても話などしたこともない雲の上の様な存在であった)に電話でれんらくした。しかし思い当たるフシがないとのこと。
翌日午前所長に電報をお渡ししたが、ただ首をかしげるだけでした。ところが間もなく謎が解けました。東京へ予算獲得のための陳情に行っていた「杉原」さんが帰所したからである。陳情後大阪行き列車に乗る前に(前夜)、東京から陳情時の感触を電報で所長に知らせたのであった。正しい解釈は「見通し良し 杉原」であった。電文で「一字開ける」ことやすぎの「濁点(゛)」をいれるのも一字とカウントされていたので経費節減の結果であったのだろう。当時大阪と東京を電話でつなぐ場合も、普通ではなく特急とか急報扱いでも半日ぐらいかかったと思いますし費用も高かったのです。現在では考えられない出来事でした。つい数十年前までこんな生活であった。国内は言うに及ばず世界中へリアルタイムで電話がかけられる今は凄い世の中になったものですね。