ご近所に男の子三人のお子さんが居る若い夫婦が住んでいます。
日曜日にはサッカーの練習にでもあるのか、翌日は写真の様に三人分の洗った靴が干されます。
お母さんもお勤めですが、こまめによく動かれる方ですが、洗うのを面倒と思っているのだろうか。
とふと思いました。後期高齢者の私は 案外子供たちの成長を感じ幸せに思っていると思っています。
なぜなら 妻も剣道を習っていた長男の道着の洗濯や繕いをしながら大した怪我もなく幼年から
少年に育っていくのを見てこんなのが幸せと言うのだろうかと思ったらしいから。
新年早々から中国発生の武漢肺炎が始まりました。そして皆さんご存知の様に 国何も感染者が増え
非常事態宣言を発するまでになりました。今は全国的に第2波が静まりかけているところと思います。
我がぶろぐカフェも会場閉鎖があり、開講されませんでした。 今日はそのぶろぐカフェが二か月ぶり
に開講され、集まりました。私はこの日を早く開催されないかと楽しみにしていました。前回の時ZOOM
(インターネット会議システム)を入力してもらっていましたので、それを早く使ってみたかったからです。
我家の孫は会社訪問無しでパソコンで面接を受けていました。下の孫は毎週パソコンで授業を受けています。
倅は帰宅後も同僚とパソコンで話しながら仕事をしていました。そんなのを見ているので、Zoomとはど
んなものかを体験してみたい。このぶろぐをアップしてからZoomはじまります。
新年度になって初めてのぶろぐカフェが開かれ、参加しました。新年は色々と行事があったり用もお多い時なので出席者はいつもよりチョット少なめ。いつものお顔が見えないとさびしいですね。先生がちょっと遅れてきましたが、その間が一番充実(おしゃべり会 & 情報交換?)していました。今年も 勉強して少しでもぶろぐのレべルを高め対ものです。
喜寿と金婚を向かえたこの秋 子供達から祝いをいただいた。この歳まで色々あったけど「ここまでよく来たなー」と二人の思い。折角なので有意義な旅にしようと二人で行き先を検討した結果、廣島の平和公園・資料館などを中心とし、ついで竹原市の街並み保存地区、西條市の酒蔵通り、宮島・厳島神社、呉市の大和ミュージアムなどを訪ねた。中学生の頃だったか岩波の写真集「廣島」を見て強い印象が残っていたからです。御影石の階段に座っている人の影が石に残っている、絣の着物を着た女性の背中に着物の模様そのままの火傷、立ち木のみかんの実がその向きだけ焦げている、など記憶にこ残っていたからです。戦後の昭和21年に小学校に入ったので、幾らか戦争のことを知っており、年齢は小さいが戦後のドサクサ時代を通ってきたし、この歳まで年齢を重ねると、写真の画面だけでなくそこに秘めている周囲の状勢も想像しながらみました。館内は一般客は勿論、修学旅行生、外国人などで、たいへん混雑していましたが出来るだけ記憶に残るよう解説文を読むようにしました。原爆ドームはまさにシンボル的存在ですが、70年を過ぎ痛みがひどいのか補強が目に付きいたいたしい思いをしました。折角だからと優勝した広島球団の新球場を見に行ったが、車を置くところがなく球場の周囲を廻ったのみでしたが、なにやら行列が出来ていたので聞いたところ「明日のファン感謝デー」の入場の列だった。次の日のニュースで球団から広島市へ5億円の寄付が行なわれ、その内の1億円は原爆ドーム保守管理に当てていただきたいとのことでした。市民はいまだ原爆とともにあるのだなーと思いました。
宮島は丁度干潮時で鳥居まで歩けました。触ってきました。大きかったです。ここも一般観光客、修学旅行生とも多く、外国人観光客も結構いました。厳島神社だけでなくお寺や五重塔等もあり自分の知識のなさを恥じました。メインストリート?のみやげ物店街は多くの人で 心斎橋筋の人通りぐらいありました。
大和ミュージアムでは船体模型は勿論関連の品を展示しているのですが、船体及び装備の建造の工夫・苦労。あのような最後となったが最後の出撃前休暇、最後であることを伏せた家族との別れの文。生き残った人たちの証言など、胸にこみ上げて来るのを禁じ得ませんでした。 戦争は悪だ。絶対にしてはいけないと言う意見があります。正しい意見と思いますが、、日本が攻撃を仕掛けてこないことを見越してなめきって武力をちらつかせる国がある以上、それを排除するために軍備を備えるのは致しかたなしとも思うが、戦争で亡くなった方たちはどう思うのだろうかと自問した。
車に無線を積んで無線で会話しながらある場所に集まる。その場所に全員が集まると目的とする場所をめがげけて無線でおしゃべりをしながら走る。今年は宇陀市榛原の西峠のある会社の駐車場に集まり、全員集まったところで東吉野村 のふるさと村を目指した。これが40年もこんな遊びをやっている無線愛好グループ(私の属するグループ)の今年の秋のイベントである。移動中は各人が交代で近況・ハプニンブ・修得した新しい無線の知識・行ってきた旅の話し等を話し参加者全員に披露しながら走る。東吉野村は幕末の文久3年に天誅組が全滅したところでしられる。また明治38年にニホンオオカミが最後に捕らえられたところだが、そのオオカミは英国人に買い取られ今はイギリスに剥製として残っているそうです。ふるさと村は廃校になった小学校を改装し食事・宿泊が出来、夏はキャンプ・川遊びなどが出来るところです。温泉が好きな人にはひなびた?温泉(500円)藻ありました。 11月半ばの穏やかな一日を好きな無線でのおしゃべりごっこ、大勢での食事、最後は温泉と楽しい一日でした。83歳を最年長に70半ば、団塊の世代と結構歳を重ねていますが健康なのをありがたいとも思う一日でもありました。
今年の秋は過ごし易いときが少なくいきなり晩秋と言ったところです。いま近くの公園では木々が紅葉して最高にきれいです。そんな時期にぶろぐカフェ11月例会が開かれました。どうしたのかグループの中心的存在のMさんが欠席されましたが。多忙な方だから他に用ができたのだろうかな。体調不良などでなければな・・・・・。出席者はみな体も口も元気そのものでした。