ずいぶん古い話になるが、この時期になると毎年高校受験のことを思い出します。時は昭和30年(1955)3月。田舎の中学校の卒業式(3月15日)がおわった次の日かその次の日が高校入試だったと思う。神戸の高校を受験したので、神戸に宿泊したが、神戸に親類・知り合いは無かったので、奉公に出ていた兄の親方の家にお世話になりました。その時のことである。
卒業式後大急ぎで必要なものを整え、大きくなった荷物をもって(担いで)兄の店(東尻池)を訪ねた(初めて一人で神戸へ行ったので、両親から道順を書いてもらい、何回も何回も口で教えてもらい心細い出発でした)。店で兄の仕事が終わるのを待って、泊めてもらう家(兵庫区平野・市電終点から10分ぐらいだったか)へ向かった。細い路地裏の奥まったところで、丁度目指す家の前まで来た時におまわりさんに呼び止められた。兄貴はハンチングにジャンバー姿。私は学生服で丸坊主・大きい風呂しき荷物を担いでいる。あやしい二人と思ったのだろう。
荷物の中は文房具や着替え三晩(私の場合三日間試験があった)お世話になるおコメ、そして両親から預かってきた親方にお渡しするお土産等でした。問題はコメ(白米)である。当時は米穀通帳(今の若い方に話しても通じません)で食料を調達していた時代で、コメ現物を持ち歩くのは不法でヤミであるとされていた。ただし、農家の人(私は農家の子)は基本的に米穀通帳はありませんので移動するときは自分が消費するコメを持ち歩いた。(修学旅行で旅館に着いた時大きいシートを広げ、みんなが持ってきたコメを出したことも思い出だします。)
おコメがあるので、いくら事情を説明しても分かってもらえず困っている時、表の気配を感じたのか家の中から奥さんが出てきてくれて事情を話してくれたことでようやくおさまりました。その晩はいろいろあって興奮・緊張がなかなか収まりませんでした。幸い合格でき三年間神戸でいい高校生活を過ごせました。その後兄の奉公先の親方には神戸での保証人や親代りを担ってもらうなど、大変お世話になり感謝しています。