野坂昭如著 火垂るの墓 を読んだ。何回目かである。
「省線三宮駅構内浜側の、化粧タイル剥げ落ちコンクリートむき出しの柱に、背中まるめてもたれかかり、床に尻をつき両足まっすぐ投げ出して・・・・・。」これは 火垂るの墓 の書き出しで、主人公の最後の場所である。14~15才の孤児である主人公はなぜ駅にたむろしたのか。いつも人混みの中に居られる人懐かしさ、雨露をしのげる、トイレ・水道がある、たまには貰い物がいただけるなど。主人公は大変な下痢もちで間もなくここで亡くなる。涙なしでは読めない。三宮駅、神戸駅、兵庫駅は戦前からある駅舎で爆撃を受けなかったため戦後も長い間戦前のままであった(今はJRになりどの駅も改装され昔のおもかげはほとんどなくなっている)私が神戸で下宿生活(昭和30年からでは兵庫高校(ニ中)の近く、そして一年後には板宿小学校の近くに移った。)を始めるほんの10年前の、一面焼け野原で家を失った人や孤児たちが雨露しのいだ戦後間無しの情景である。私は今でも昔の兵庫・神戸・三宮の駅舎の構内の様子が直ぐ思い出すことが出来る。
昭和30年~33年まだ戦後を残した神戸(進駐軍がいた)で高校生活を送った私は、大阪、奈良、堺と住所を変えて約60年になりますが、出張や所用で神戸へ行くことは何度となくあった、三宮駅構内を通る度にどの柱を背にしていたのだろうと主人公を思いながら通りました。
若い頃に読んだ思いと(終戦時私は5歳であった)、喜寿まで歳を重ねてから読んだ思いには差がある様に思う。これは一体何だろう。本に幾ら詳しく書いても当時の状況を知らない若い人たちにどれだけ伝わるのだろうかともどかしくも思う。昨年、焼け跡・闇市派と言われた作家で「火垂るの墓」の著者野坂昭如さんが85歳で亡くなりました。そして71年目の終戦記念日がもう直ぐ。大切な何かを積み残しながら、時代が動いているなーと感ずるこのごろです。