‘堺および近郊のこと’ カテゴリーのアーカイブ

大賑わいの堺の大魚夜市

2010年8月4日 水曜日

 堺市民になって6年余、かなり市民らしくなってきたと思DSC00413 (1) Ⅱうがまだまだ知らないことが多い。その知らないことの一つが大魚夜市である。毎年の様に今年こそは大魚夜市に行こうと思いながら、気が付いたら日が過ぎてしまっていて一年延ばしになっていたが、今年は当日(7月31日)の午後5時ごろ何かのはずみで大魚夜市の日であることに気がついた。おっとり刀よろしく車で家を飛び出し大浜公園を目指した。駐車場のことなど考えずただひたすら大浜公園を目指した。丁度旧市民病院の空き地の横で赤信号にあい停車している時、普段自動車など入っていないこの空き地に多くの自動車が入っているのに気が付いた。臨時駐車場になっていたのである。そしてその中から大魚夜市会場の大浜公園相撲体育館横までシャトルバスが出ていて、トントン拍子に会場へ行き着きました。DSC00437 (1)Ⅱ

  大魚夜市の歴史は古く800年ほど。住吉大社(大阪市住吉区)の氏子である堺の漁師が住吉大社の夏祭り(大阪三大祭り)に大漁を願って魚を奉納したのが始まりとか。

セリが始まる7時まで十分余裕がありあたりを探索。メイン会場では神事が行われており、つづいて手を触れないで魚をさばく儀式が行われ、さらに歌や踊りなどいろいろな催しが行われていた。メイン会場内の周辺にはいろいろな団体(各区自治連合会、婦人団体、企業、留学生、その他で約30~40団体)が行うセリ台が約100mに亘って設営され、7時と同時に一斉にセリが始まった。タイ、タコ、イカ、タチウオ、サザエ、カニなどが売られ大変な熱気である。

我が家は南区にあるので、南区セリ台でタイを買いました。DSC00448

 夕食前に家を出たので焼きそばを食べてしのいだ。今回が初めてなので会場をくまなく見て回ろうと隅々まで歩いた。大部分はどこの夜店や縁日にも出ている様な店がほとんどですが、堺名産の刃物屋さんとか、かつての鯨踊りをテーマにしたところもありました。

 変わりだねはキックボクシングのリンクがあり試合をしていました。夜市との関係は

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分かりません。 大浜公園を出て堺旧港の方へ行くと、8時半から花火があると「ハンドマイクのおじさん」がふれていた。やや時間があるが見て帰ることとした。

 大魚夜市はどこを歩いてもすごい人の波で、堺にこんなに人が集まる行事があるとは知りませんでした。明日は住吉大社の神輿が大和

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川を渡って堺宿院頓宮までの渡御がある。川渡りが一大見物と思うが残念ながら行くことができません。来年のこの時を楽しみにして待つとしよう。

 

 

 

 

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泉北すえむら資料館

2010年7月22日 木曜日

 昨日暑中見舞いを投函したついでに足を延ばして、大阪府から堺市へ管轄変えになった堺市立泉北すえむら資料館(元大阪府立泉北考古資料館http://www.city.sakai.lg.jp/shisetsu/bunka/049.html)へ行ってきた。梅雨明け十日と言いますが、4・5日しか立っていない暑い暑い日の日中でした。自転車で行った所為か到着と同時に汗が噴き出したが、よく効いた冷房に救われました。展示物が変わったわけではないので、基本的には展示に変更があるわけではないと思われますが、気のせいか素人にも分かり易くなっていた様おもわれた。以前ここの会議室?の様な所で勉強会が行われていましたが、はっきりしませんが今もつづいて入る様です。回を変えてもっとしっかりしたブログ報告を行いたいと思います。

堺市立泉北すえむら資料館入口付近

堺市立泉北すえむら資料館入口付近

堺蚤の市

2010年7月18日 日曜日

 朝早く家内の友人から電話が入った。「地場賑(じばしん)で何かやっているらしいから見にいかへんか」と言うことだった。私はアッシーとして一緒に行った。地場賑には11:00頃着いたところ駐車場はほぼ満員状態だが何とか空きを探して駐車できました。大きい荷物を持って帰る人もチラホラ。会場へ入ると何だかわからないが人がいっぱい居ました。よく見ると古着、骨董、絵画、訳の分からない古い小物、フィルムカメラ等を扱う店が、約2m四方の小間が無数に設けられたその小間の中で商売をしていた。このイベントは堺蚤の市と言い  今回だけでなく定期的に行っていることも分かってきた。場内を回っていると店主との応答など慣れた客も多く見かけられました。小さいころ遊んだようなもの、どこにでもあったような戦争や皇族方の写真入り画報、若いころ欲しかったが高価で買えなかったフィルム写真機(年齢とともに興味もうすれ今ではコンパクトデジカメで十分) など場内を回っていても興味は尽きない。開場は9:00~15:00であるが、9:00から入るには入場料1000円が必要で主に商売人が入る。一般は10:30からで入場料は無料となっている。

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 堺市は明治の初めころは堺県の県庁であったとよく聞きますが、その証拠?の様なものを堺商工会議所本館裏正面側で見つけました。それは明治12年に堺商工会議所の設置願いに対する許可が堺県から下りたのを記念して造られた記念碑がです。写真をご覧ください。

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 会場でもらったはがきから、年間スケジュールは写真に示す様なので計画されては如何でしょうか。

ブログ堺蚤の市開催通知はがき010

野田城跡

2010年7月16日 金曜日

 先日、南海高野線北野田駅近くに野田城があったということで、城址らしきところを見て歩く機会の恵まれた。場所は北野田駅の東は西除川、南は駅から300mほどのところにある児童公園までうろついた。すべて宅地化されていて石の階段とか石垣などお城を偲ばせられるものには出会えませんでした。しいて言えば、道端の駐車場の端にある大きな楠(樹木医でない小生の推定 めどうり周囲3m以上 樹齢は幹の太さなどから5・700年と見た)があったが、それも落ち葉が少なくなるようにか枝を切られて少々可哀そうに思われた。近くの線路敷地内に写真の様な標柱がありました。それには「南朝野田氏三代の居城」とあった。戦後教育の小生にとって南北朝については習っても深くは知らないので、これから遅ればせではあるがちょっと勉強をしなければと思いました。

近くの線路敷内に横たえられていた標柱

近くの線路敷内に横たえられていた標柱

太古の泉北ニュータウンあたり

2010年7月13日 火曜日

 偶然ですが、カシオ電子辞書の日本歴史大辞典をいろいろ見ている時に「陶邑窯跡群」という項に出会った。そこには大阪府の南、堺市、岸和田市、和泉市、大阪狭山市の4市にわたり、泉北丘陵一帯の東西15km南北9kmの範囲に分布するわが国最古最大の須恵器窯跡群の総称。名称は「日本書紀」崇神天皇条に「茅淳県陶邑」(ちぬのあがたのすえむら)とあるところから名づけられている。・・・・・・・・ 略 ・・・・・・・・・・・陶器山、高蔵寺、富蔵、栂、大野池、光明池、谷山池の各地区に区分されており、窯跡の合計は500基を超えておる。大半が泉北ニュータウン造成工事に伴って、大阪府教育委員会などにより発掘調査が行われた。5世紀から9世紀までの須恵器が生産され、時代の変化をみる型式編年の重要な資料となる。 と書かれている。 他に陶荒田神社、陶器山、陶器川、陶器小学校などあり泉北ニュータウンあたりは歴史の古いところでありそうだ。