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ちよょっと奈良市へ そして馬見丘陵公園で道草

2012年4月6日 金曜日

急に奈良まで行く用ができましたので、5日に行ってきました。空模様はよかったが風があり気温の割には寒い日であった。堺から竹ノ内峠を越し広陵町の馬見丘陵公園を目指した。この辺りには多くの古墳があるところで、、この公園はこれらの古墳や池を取り込んだよく整備された大きな公園である。桜には少し早いが花見の人も見かけられた。季節が進んでいろいろの花が咲き樹木が茂れば、その木の下で弁当を開けての家族連れでピクニックができるいい公園である。都会と違って無料の駐車場が十分あります。時季を変えてまた行って見ようと思っています。

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もうすぐ堺の大魚夜市! みんなで行こう!

2011年7月21日 木曜日

 大魚夜市 : 大阪の夏祭りは、愛染祭にはじまり 天神祭と続き トリは住吉祭で終わる。住吉大社の夏祭の神輿が堺の宿院神輿の御旅所・堺は住吉大社の氏子)まで渡御する際に、漁師が魚を持ち寄り神前に奉納したことに由来し、およそ700年の歴史を誇る「堺の夏の風物詩」。箸と庖丁で直に魚に触れずにさばく「庖丁式」などの催しや、約400店の夜店など、約20万人以上の来場者で盛り上がります。 

 

 

 

 

 

 場所は大浜公園 : 南海本線「堺駅」から歩いて10分?ぐらい。  夜市に少し遅れて旧堺港周辺で花火の打ち上げが始まります。旧港の周辺からよく見えます。今年は日曜日です。夕涼みを兼ねて家族みんなででかけてはいかがでしょう。

 そして次の日(8月1日)は盛大な住吉祭りです。住吉大社を出発した神輿は紀州街道を通って大和川に入り川を南に渡って宿院頓宮(御旅所)を目指す。見ものですよ。

擁護璽ー津波の怖さを後世に知らせる碑

2011年4月27日 水曜日

 3月11日午後2時46分に宮城県沖を震源とする前代未聞の巨大地震が起こり、三陸から福島県にかけて海岸が壊滅的な被害を受けた。さらに福島県の原発も被害を受け放射能被害が出ている。内陸部は地震の被害、海岸部は地震と津波の被害、原発の近くでは地震・津波・さらに放射能被害がある。以前から地震が起きたら津波被害が出ると言われていた地域であるが、二重、三重と被害が重なり大変お気の毒に思う。

 こんな時、岩手県宮古市重茂半島姉吉地区(本州最東端)に津波に対する注意喚起の碑があるのが報道され話題となっている。

大津波記念碑

高き住居は 児孫に和楽、想え惨禍の大津波、此処より下に家を建てるな。 

明治29年にも、昭和8年にも、津波は此処まで来て部落は全滅し、生存者、 

僅かに 前に2人、後ろに4人のみ 幾歳経るとも要心あれ。

(この様な内容の碑は、青森県から宮城県にいたる三陸海岸各地に200基ほど建てられているそうです)

 ところで、話は堺市大浜公園は蘇鉄山。ここに「擁護璽」(ようごじ)という碑が建てられている。この碑には

嘉永七年六月十四日(1854)地震があった。114日、5日にも強い地震があり、沖の方が恐ろしく鳴り響き、津波が起って川筋へ激しく入り込み、また引きも激しく、多くの船の碇綱、艫綱切れ、あちこち突きあたって橋は八つも壊れ言いつくせないくらい。地震と津波で多くの家、土蔵が壊れたが、里人たちは神社の広場に集まり避難した。お陰で怪我をしたり死んだ人が居なかったので大変ありがたいことであった。他所の入江や川筋では避難のために小舟に乗って安心していたが、津波によって大船が入込み、下敷きとなって命を落とした者数知れず。

どんなことがあっても、地震が強い時は船に乗って避難してはならない。宝永年間にも今回と同じようなことがあったと聞いている。この様な例で明らかなように、地震が強い時は、津波があることを知るべきである。堺の人びとが無事であったことが有りがたく、産土神の神明宮、三村宮、天満宮にその喜びの幣を捧げ、後の世も災いが無いことを祈って賜ったおしで()をここにまつるのである。(原文は江戸時代の漢字仮名交じり文。現代語訳したものから要約。他の史料では被害が出てらしい。)と書かれている。後世の人々に地震・津波災害への注意を促し、将来も堺の町が無事である様に祈って建立されたものと思われる。

大浜公園にある擁護璽

擁護璽の裏側

これと同じ嘉永七年の地震・津波で大被害を受けた大坂城下の様子は、現在の大正橋東詰に「大地震両川口津波記」なる碑に長文で示されている。木津川や安治川河口に停泊していた千石船が河川を逆流。橋を次々破壊しながら内陸の道頓堀まで運ばれけが人や死者は数知れずとのこと。大地震の節は津波起こらんことを心得、船に乗るべからず。後の人の心得に。

 これらの碑はいずれも災害の大きさ・悲惨さを示し、同じ災害を被らない様後世の人たちの注意を喚起している様に思われる。

堺市博物館でアルフォンス・ミュシャ展

2011年1月31日 月曜日

 アルフォンス・ミュシャの生誕150年を記念して、国内最大のミュシャコレクションを所蔵する堺市は、その波乱に満ちた生涯と作品を顧みる展覧会を2月5日~3月21日に開催しようとしています。

 アルフォンス・ミュシャはチェコ人で19世紀末ヨーロッパで花開いた装飾美術のアール・ヌーボーの代表的画家である。

 特徴は、しなやかな曲線、美しい色彩でチェコやビザンチンの装飾様式のほか日本美術の要素も見えるといわれています。『明星』、『みだれ髪』を通じて日本にも影響を及ぼしたと言われ、私たちには何となくレトロな感じを与えてくれます。

 なお堺市博物館はJR阪和線 百舌鳥駅 から5分。南海バス 堺市博物館前下車 大仙公園内にあります。