あの日私は奈良県大和郡山市にすんでいました。すごい震動で目が覚めた。当時、次の大地震は関東か東海方面で起こると社会一般に信じられていたように思います。関西でこれだけ揺れたのだからさぞかし関東は大変だろうなとTVを点けた。まだ何も報じていない。当時西宮のマンションで1人住まいしていた娘に電話した。「びっくりしたー。でもまだ早いのでもう一眠りする。」と言って電話をきった。冬になると関西へ来て長期滞在をする信州の妻の母は「東京へよく行くがこんな地震初めてといっていた。報道では大和郡山は震度4であった。勿論我家に被害なし。またふとんに入り寝なおそうかとラジオをつけると神戸だと流れている。ふたたびTVをつけた。確か淡路・室津あたりの神社が傷んだ画面が出ていた様に思う。そして再度娘にTELしたがもう繋がらなかった。そのうちに震源地や被害の状況が分かってきた。被害が淡路北淡町ああたりと神戸阪神間に おおいらしいとと分かってきた。
この1月17日にその淡路島の元北淡町富島の20回目の追悼式典に行ってきた。風が強く寒い寒い日で、マフラーをしてコートのフードをかぶったがが手袋だけの手が大変冷たかった。市長の挨拶、黙禱(午前5時46分)、精霊流し合唱、献花などがありましたが、用意した竹灯篭や献花用花束に余裕があったので飛び入りで故人たちの冥福を願い、あげさせていただきました。一度はこの追悼式に参加してみたいと思っていたが20回目の節に参加でき、献花まででき区切りがついたような気持ちで堺まで帰ってきました。