‘その他’ カテゴリーのアーカイブ

阪神・淡路大震災 20回目追悼式典(旧淡路・北淡町)に行きました

2015年1月18日 日曜日

あの日私は奈良県大和郡山市にすんでいました。すごい震動で目が覚めた。当時、次の大地震は関東か東海方面で起こると社会一般に信じられていたように思います。関西でこれだけ揺れたのだからさぞかし関東は大変だろうなとTVを点けた。まだ何も報じていない。当時西宮のマンションで1人住まいしていた娘に電話した。「びっくりしたー。でもまだ早いのでもう一眠りする。」と言って電話をきった。冬になると関西へ来て長期滞在をする信州の妻の母は「東京へよく行くがこんな地震初めてといっていた。報道では大和郡山は震度4であった。勿論我家に被害なし。またふとんに入り寝なおそうかとラジオをつけると神戸だと流れている。ふたたびTVをつけた。確か淡路・室津あたりの神社が傷んだ画面が出ていた様に思う。そして再度娘にTELしたがもう繋がらなかった。そのうちに震源地や被害の状況が分かってきた。被害が淡路北淡町ああたりと神戸阪神間に おおいらしいとと分かってきた。

この1月17日にその淡路島の元北淡町富島の20回目の追悼式典に行ってきた。風が強く寒い寒い日で、マフラーをしてコートのフードをかぶったがが手袋だけの手が大変冷たかった。市長の挨拶、黙禱(午前5時46分)、精霊流し合唱、献花などがありましたが、用意した竹灯篭や献花用花束に余裕があったので飛び入りで故人たちの冥福を願い、あげさせていただきました。一度はこの追悼式に参加してみたいと思っていたが20回目の節に参加でき、献花まででき区切りがついたような気持ちで堺まで帰ってきました。

挨拶をする淡路市長

精霊流し(寒いので立ち位置から撮りました)

 

会場の様子(冷たく強い風がふき大変寒かった)

 

 

 

車盗難の顛末記

2014年3月18日 火曜日

3月上旬に家の前の駐車場に入れておいた車が盗難にあいました。午前11時に人と会うことになっていたので間に合うように車まで来たが車がない。???である。前夜からその朝までの間にやられた。ガラスの破片が落ちており、その量から運転席側の三角窓を破られたと思った。110番で警察に連絡、出向いてきてくれたおまわりさんにいろいろ聞いてもらい調書をとってもらった。現場を見ておまわりさんから「犯人は時間がかかるのを嫌うから、簡単でもいいからを柵を作る。音が出るようにする。など考えてみては・・・」といわれました。夕方になって警察から車が見つかったとの連絡が入り言われた場所まで行った。直線で300mほどしか離れていない。盗んではみたものの8年も乗った古い車なので捨てていったのだろう。果たして三角窓を破り、ゴルフのときに使う長い傘で反対側のドアノブのロックを解除して入ったらしい。というのは私のものでない前述のゴルフの長い傘が車内にあったからである。車はそのままレッカーで警察署へ。次の日警察での鑑識に立ち合った。だがどうやって始動したのか分からないとディーラーの人が言う。現在保険で車を修理中、そして足はレンタカーである。使うことのない保険と思いながら加入した任意の自動車保険ですが思いがけなく役立ちました。 それにしてもドア内側のドアロックボタン一工夫が必要とメーカーに言いたいです。少なくともフォルクスワーゲンは違っていたようにおもう。

 

今年最後の花見しました(さくらの通り抜け)

2013年4月18日 木曜日

今年の花見の最後として桜ノ宮・造幣局の「さくらの通り抜け」へ行ってきました。やや盛りは過ぎた感がありましたが、八重が多く、手入れも行き届いているので、なかなかのものでした。花見コースの外では屋台が沢山出ており、花見以外でも子供、女性、お年寄り、お父ちゃん等いろんな方々がたのしめます。コースは天満橋側から入って北へ抜ける一方通行でまさに通り抜けでした。最終出口付近に縫いぐるみの「コインちゃん」が居て一緒に写真をとってくれます。花の盛りを過ぎているので早く行くのがいいと思います。

霜のあさ

2013年1月7日 月曜日

今朝外を見ると霜が降りて自動車は真っ白であった。今日は三学期の始業式で小学生である孫は元気に登校して行った。8時ごろ外へ出ると自動車に写真の様な絵が描かれていた。手形とアニメの主人公かなにか分からないものである。冷たいのに小学生やなーと思いました。だが今の時刻では霜など何もなかったと同じ状態である。今年もよろしくお願いします。(矢印を写真の上に移動すると手の形になります。そこでクリックすると大きい写真になります。)

 

霜を被った自動車

 

拡大図 何描いてんのかなー

 

もう一つの拡大図

 

柿を求めて五條・西吉野へ

2012年12月3日 月曜日

柿博物館から見えた未収穫の柿山

柿博全景物館

11月も終わりのころ奈良県西吉野町方面へ柿を求めてドライブした。その日は天気にも恵まれ絶好のドライブ日和でした。退院後40日も過ぎ、ようやく自分の体に戻ってきたなと感じてきているので、どの程度までやれるものかとリハビリも兼ねてのドライブでした。毎日1時間程度のウォーキングを日課としている所為かしんどいとか息苦しいということはありませんでした。河内長野から五條へ出てそのまま直進し吉野川を渡ってしばらく行った時、柿博物館の案内があったのでこれを頼りに柿博物館(http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_menuid-9617.htm)へ行った。そして柿博物館近く(車で5分ぐらい)に柿選果場があることも知った。そこでは箱詰めした高級品?から、商品にはならないが十分食することができるバラ売りのお値打ち品が売られていた。知る人ぞ知るで多くの人達が行ってお値打ち品を求めていた。まだまだやっていると思いますので柿がお好きな方は行ってみてはいかがですか。道中の道ばたでも柿売店は多くありました。

わが家の皇帝ダリヤ② 咲き始めました

2012年11月16日 金曜日

わが家の皇帝ダリヤ(たった3本ですが)がようやく咲き始めました。株を頂いた時に11月下旬から12月上旬にわたって咲く様に聞いていましたので、早めに咲いたので喜んでいます。ホントに背が高く(4~5m程)まで伸び支柱が半分にも届かないくらいで、風が吹いたら途中から折れてしまいそうで心配です。この花のおかげで通行人やご近所の人たちと話すチャンスが増えました。

二階のベランダ辺りで咲いています。一階の部屋からは幹だけしか見えません。

 

 

 

 

 

 

 

青空をバックに殆んど真下から撮りました。淡いピンク色が気に入りました。

わが家の皇帝ダリヤ① まだ蕾です

2012年11月2日 金曜日

昨年皇帝ダリアを倒しているところへ通りかかり、芽が出る節の部分を三つもらって帰った。その時、お宅には2階がありますか。庭は広いですか等聞かれかした。入院している間に1.5m程伸び4~5mほどになりました。こんなに伸びると2階から観賞するか、広い庭ならちょっと離れて観賞できるが、建て混んだ所であれば不向きだよと遠まわしに言うてくれたんだろうと思います。幸いなことにお隣さんとの間に小道があるのでラッキーです。まだ花は咲いていないが蕾が大きくなってきました。初めて植えたので楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再開の挨拶 です

2012年10月25日 木曜日

しばらく休んでいましたが、これからも私なりのペースでアップしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。以下に休んだ理由を簡単に記します。

この夏 全くの偶然から肺がんの疑いありと医者から言われました。それ以後は検査、検査の連続でした。そして9月20日を何日も過ぎた日にとうとう肺がんの宣告を受けました。病巣はまだ小さく今手術すれば盲腸の手術よりやや重い手術をする程度と思ってください。個人差はありますが普通は手術後2週間ぐらいで退院できますよ。ひと昔前と比べて治療法も薬もずいぶん発達しているのでもう人生終わりなどと深刻に思わないでくださいよ。とさらりとした宣告でした。私の心はどん底。

そして自分にはガンの知識がなかったので、そのまま医者を信じ、医者の言うスケジュールで手術を受けることにしました。10月3日入院、4日手術、そして13日に退院できました。悪いところは全部取り去り転移も無いとのことなので「完治」と思っていたが、これからは再発防止に向けて飲む抗がん剤の服用を続けることになりました。

そして現在の私は、ほぼ普通の生活ができています。毎日30~40分の散歩、自転車で郵便局へ、駅までの送り迎えなどやってます。ただ肺活量が80~85%になっているので大きな動きのときは息がしんどい。行動限界を確かめながらの動きになっています。これからはトロトロした動きの鈍い人生になりそうです。

それから、この病気は自覚症状がないそうなのに早期発見が何よりも大切なので、私の場合を掲載することでお役にたてればと思っています。

しばらく休みます

2012年10月2日 火曜日

この「陶邑の旅人見聞録」をご愛読いただいてありがとうございます。しばらく休みますが、下旬には再開したいと考えていますのでよろしくお願いします。

 

8mmフィルムの記録を簡易にビデオ化しました

2012年6月26日 火曜日

私たちの世代は子育て時代の記録として、フィルムカメラ、カセット録音、8mmフィルム映像などであった。ところが年月が進むとともにAV機器も進歩し、現在はデジタルカメラ、デジタルビデオ、ICレコーダーの時代となり大変便利になりました。しかし子供たちの成長を8mmフィルムに収めた我々世代は喜んでばかりいられません。デジタルの時代になり8mmフィルム映写機の需要がなくなったため、メーカーが生産を停止して既に久しい。手持ちの映写機が故障した場合、部品の更新ができないので、その時点から上映して楽しむことはできません。8mmフィルムをもっているが、映写機が古くなって動かず、部品交換もできず、かといってフィルムの処分もできないと言う人も多いらしい。
 世の中うまくしたものでフィルムからビデオへ変換するビジネスもあるそうですが、かなりの価格らしいので、あまりお金を掛けられないのも人情と思います。
 私は子供達を映したフィルムを結構持っているので、かねてより何とかしたいと思っていた。この程、映写機を出してきて動かしたところ機械の音は少し高いが何とか動いたので、部屋を暗くしてスクリーンに上映しながら、そのスクリーンの映像をビデオカメラを廻して録画を試みた。結果、ピントは甘くなるが撮影した時の情景が思い出されるので人物の特定やその場の内容は理解できました。この梅雨の時期の何日かをこの作業に充てた。映写機の電球が切れる、ベルトが切れる等すればその時点で終わりとなるのでひやひやものであったが、全てのフィルムを何とか簡易にビデオ化できました。ビジネスのものより品質は数段劣ると思いますがひとまず成功。今、パソコンにデータを取り込んでDVD化しようと思っているが、パソコンを使いこなす技術レベルがあやしいのでどこまでできるか心配です。8mmフィルムお持ちの方は試してみてはいかがでしょう