擁護璽ー津波の怖さを後世に知らせる碑

2011年4月27日

 3月11日午後2時46分に宮城県沖を震源とする前代未聞の巨大地震が起こり、三陸から福島県にかけて海岸が壊滅的な被害を受けた。さらに福島県の原発も被害を受け放射能被害が出ている。内陸部は地震の被害、海岸部は地震と津波の被害、原発の近くでは地震・津波・さらに放射能被害がある。以前から地震が起きたら津波被害が出ると言われていた地域であるが、二重、三重と被害が重なり大変お気の毒に思う。

 こんな時、岩手県宮古市重茂半島姉吉地区(本州最東端)に津波に対する注意喚起の碑があるのが報道され話題となっている。

大津波記念碑

高き住居は 児孫に和楽、想え惨禍の大津波、此処より下に家を建てるな。 

明治29年にも、昭和8年にも、津波は此処まで来て部落は全滅し、生存者、 

僅かに 前に2人、後ろに4人のみ 幾歳経るとも要心あれ。

(この様な内容の碑は、青森県から宮城県にいたる三陸海岸各地に200基ほど建てられているそうです)

 ところで、話は堺市大浜公園は蘇鉄山。ここに「擁護璽」(ようごじ)という碑が建てられている。この碑には

嘉永七年六月十四日(1854)地震があった。114日、5日にも強い地震があり、沖の方が恐ろしく鳴り響き、津波が起って川筋へ激しく入り込み、また引きも激しく、多くの船の碇綱、艫綱切れ、あちこち突きあたって橋は八つも壊れ言いつくせないくらい。地震と津波で多くの家、土蔵が壊れたが、里人たちは神社の広場に集まり避難した。お陰で怪我をしたり死んだ人が居なかったので大変ありがたいことであった。他所の入江や川筋では避難のために小舟に乗って安心していたが、津波によって大船が入込み、下敷きとなって命を落とした者数知れず。

どんなことがあっても、地震が強い時は船に乗って避難してはならない。宝永年間にも今回と同じようなことがあったと聞いている。この様な例で明らかなように、地震が強い時は、津波があることを知るべきである。堺の人びとが無事であったことが有りがたく、産土神の神明宮、三村宮、天満宮にその喜びの幣を捧げ、後の世も災いが無いことを祈って賜ったおしで()をここにまつるのである。(原文は江戸時代の漢字仮名交じり文。現代語訳したものから要約。他の史料では被害が出てらしい。)と書かれている。後世の人々に地震・津波災害への注意を促し、将来も堺の町が無事である様に祈って建立されたものと思われる。

大浜公園にある擁護璽

擁護璽の裏側

これと同じ嘉永七年の地震・津波で大被害を受けた大坂城下の様子は、現在の大正橋東詰に「大地震両川口津波記」なる碑に長文で示されている。木津川や安治川河口に停泊していた千石船が河川を逆流。橋を次々破壊しながら内陸の道頓堀まで運ばれけが人や死者は数知れずとのこと。大地震の節は津波起こらんことを心得、船に乗るべからず。後の人の心得に。

 これらの碑はいずれも災害の大きさ・悲惨さを示し、同じ災害を被らない様後世の人たちの注意を喚起している様に思われる。

最高の花見でした

2011年4月10日

 今日4月10日は統一選挙投票日でした。昼前散歩も兼ねて投票のために近くの小学校へ。雲ひとつないいい天気で気温も温かいし、緑道のさくらも丁度満開。この天気と桜にさそわれて近くのくろうし公園(直径80mくらいの円形で、外周に近い部分に桜が植えられ、中央部が丸い広場になっているので小さい子供を遊ばせられる。)で急遽花見をすることにし、近くの近商で弁当と缶ビールを調達。夫婦二人だけのささやかな花見である。思い返せば二人で花見をしたことは思いだされないが若い頃も多分行ったんであろうなー。花見スタイルもバーベキュー組、椅子持ちのお年寄りグループ、乳母車を押したり小さい子を連れた若い夫婦などいろいろ。近くの家からこの気持ちいい気温とさくらの開花に誘われて出てきたと言った人が多かった。その時撮った写真です。お近くの方、来年の花見計画に入れておいては如何でしょう。

地震に思う

2011年3月30日

 奈良からの帰り、ボリュウムを上げてCDを聞きながら帰ってきた。家の近くの自動車屋さんへ寄り、オイル交換を頼んで待っている時のことである。待合室のロビーの遠くのTVで女性アナウンサーが、何処かの自治体の総務課長の様な立場の方に電話でインタビューしていた。内容は分かりませんがしきりに執拗に聞いているようであった。待ち時間が長くなってきたので、新聞でも読もうかとTVの近くへ寄って行って初めて今回の地震を知りました。4時ごろだったと思います。しばらくTVを見ていてようやく内容が理解できるようになった。なんと前代未聞の巨大地震が発生したとのことであった。その時、先刻までCDを聞きながら鼻歌交じりの気持ちであったのが、どこか済まない様な心持になりました。

災害のTV報道

 その夜はご多分にもれずTVにくぎ付けになった。以来今日まで涙なしにはTVを見られない。だが取材場所が変わるけれども、どの地域からの映像も津波が押し寄せいろんなものが押し流される場面が殆どであった。数日間はこの状態が変わらなかった。地震による被害は海岸だけで内陸部にはなかったのだろうかと思わせる風であった。過去最大級の地震だから内陸部も被害があるはずと思っていた。新聞には茨城県の内陸部の避難場所は報道されないから物資は届かないとか。同じように地震にあった長野県栄村の報道も全くない。地震発生10日も過ぎて物資が動き出しているが、やはりTVによく映ったところに偏っているようである。報道各社は配慮すべきと思う。

16年前

 実は16年前に生家が地震で全壊し、母、おば、従兄弟を亡くしました。生活物資をもって持てるだけ持って震災地へ、公民館で何日も泊まり、崩れた家の解体と資材搬出にも行きました。寝た場所は公民館の入口近くであったので人が通るとすぐ目が覚め、TVカメラが来るとその辺りから館内を狙って映像を撮るなど、落ち着かない場所であった。

そこで思うこと

 その頃に思ったこと ①TVによく映るところはどんどん援助物資が来るが放映されないところには来ない。 ②トイレが溢れて問題があった。数多くはほしい。 ③報道は避難所内を撮るときは中の人の感情に思いを働かすべし。 ④インタビューを受けた人から見ると、記者は熱心に聞くが、横から話が入ると全く異なった話しなり、先ほどまでの話は何だったのかとだんだん信用されなくなる。 ⑤ブルーシートが欲しいと言われ、わが家近くのホームセンターでブルーシートを探したが品切れ。長野県の知人に電話し宅配便ですぐに送ってもらって翌日持って行った。品切れ品は遠くの人に頼むべし。 ⑥持参したのは すぐに食べられる寿司とか、手を加えた野菜や食糧、電池、懐中電灯、ポケットラジオ、ホッカイロ、カップめん、干し飯、ウェットティシュウ。 ⑦避難者は病人ではないので、何班にも分けて各班に自治をもたせ連絡、配布、掃除など自分たちでできることは手分けして行うべきと思った。  

 それにしても前代未聞の原発事故 おおごとにならずに 速く終息することを願うばかりです。

私の高校受験

2011年3月14日

 ずいぶん古い話になるが、この時期になると毎年高校受験のことを思い出します。時は昭和30年(1955)3月。田舎の中学校の卒業式(3月15日)がおわった次の日かその次の日が高校入試だったと思う。神戸の高校を受験したので、神戸に宿泊したが、神戸に親類・知り合いは無かったので、奉公に出ていた兄の親方の家にお世話になりました。その時のことである。

 卒業式後大急ぎで必要なものを整え、大きくなった荷物をもって(担いで)兄の店(東尻池)を訪ねた(初めて一人で神戸へ行ったので、両親から道順を書いてもらい、何回も何回も口で教えてもらい心細い出発でした)。店で兄の仕事が終わるのを待って、泊めてもらう家(兵庫区平野・市電終点から10分ぐらいだったか)へ向かった。細い路地裏の奥まったところで、丁度目指す家の前まで来た時におまわりさんに呼び止められた。兄貴はハンチングにジャンバー姿。私は学生服で丸坊主・大きい風呂しき荷物を担いでいる。あやしい二人と思ったのだろう。

 荷物の中は文房具や着替え三晩(私の場合三日間試験があった)お世話になるおコメ、そして両親から預かってきた親方にお渡しするお土産等でした。問題はコメ(白米)である。当時は米穀通帳(今の若い方に話しても通じません)で食料を調達していた時代で、コメ現物を持ち歩くのは不法でヤミであるとされていた。ただし、農家の人(私は農家の子)は基本的に米穀通帳はありませんので移動するときは自分が消費するコメを持ち歩いた。(修学旅行で旅館に着いた時大きいシートを広げ、みんなが持ってきたコメを出したことも思い出だします。)

 おコメがあるので、いくら事情を説明しても分かってもらえず困っている時、表の気配を感じたのか家の中から奥さんが出てきてくれて事情を話してくれたことでようやくおさまりました。その晩はいろいろあって興奮・緊張がなかなか収まりませんでした。幸い合格でき三年間神戸でいい高校生活を過ごせました。その後兄の奉公先の親方には神戸での保証人や親代りを担ってもらうなど、大変お世話になり感謝しています。

南海バスと阪堺線が1日乗り放題

2011年2月27日

平成23年3月1日から表題の様なお得なチケットが発売されます。堺市内の周遊、観光、街歩き、お出かけにお得で便利なものです。さらに堺市内の協力店舗やホテル等で利用できる特典も付いていますよ。

大阪マラソンのコースが決定 & 走者募集

2011年2月9日

  堺の街中を歩いていて大阪マラソンのパンフを手に入れた。それは、大阪の街興し(?)として大阪マラソンが昨年提唱された様に思う。、この程そのコースが発表されました。そして30,000人のランナーを募集するそうです。全国には走ることを趣味とする多くの人がいるので、この人達が大阪マラソンに参加して大いに盛り上げてほしいと願っています。コースは大阪市内のめぼしいところを廻ったうえで南下し、玉出、北加賀屋、住之江公園を巡り、南港インテックス大阪を終点とするものです。

  ところで、コースに物足りないものを感じませんか。インテックス大阪を終点にではなく、住之江公園からさらに南下して、大和川を渡り、路面電車を見ながら大浜公園等を巡り、仁徳陵のある大仙公園を終点にするコースは如何でしょう。有名な堺打刃物や御菓子屋さん、そして世界遺産に登録を目指している仁徳陵はじめとする百舌鳥古墳群などを全国にアピールできるコースがとれるのに、それができないのは残念と思います。

 主催者には大阪府、大阪市、大阪陸上競技協会だから仕方がなかったのでしょうか。なぜ政令市である堺市が主催者に加われなかったのか。堺市にその能力なしと見たのか。大阪府も主催に加わっているのに外見的には大阪市の行事としか見えません。ケチを付ける積りはありませんが大阪府(知事)にはもっとバランス感覚をもってほしいなーと思いました。こんなこと思うのは自分だけでしょうか。

2月12日、13日に堺刃物まつりがあります

2011年2月5日

 堺特産物である堺打刃物のルーツをたどれば、仁徳稜をはじめ多くの古墳が築かれた5世紀にたどり着くそうです。16世紀にタバコが入ってきたころには切れ味が良いことで全国に名をはせ、鉄砲伝来以降は鉄砲の大生産地になりました。現在でも全国的に有名な打刃物の産地であることに変わりがない。プロの料理人の7~8割は堺打刃物を使っていとか。これほど全国的に名高い堺刃物のまつり”堺刃物まつり”堺刃物商工業協同組合連合会の主催で来る2月12日(土)、2月13日(日)堺市産業振興センター(南海電鉄・地下鉄「中百舌鳥駅」すぐ)で開催されます。

包丁・はさみの研ぎなおし(切れ味の鈍った包丁があれば持っていって研ぎなおしてもらえるかも・伝統工芸士の方が新品同様に研ぎなおしてくれるかの知れません?。要実費?)包丁研ぎ方コーナー 魚のさばき方教室リンゴの皮むき・鉛筆削り大会 マグロ解体・即売、 とれとれ市、 特産品即売コーナー  蕎麦打ち実演・販売 太極拳 健康相談 堺工科高校の鍛造品展、 大示阪伝統的工芸ふるさと体験、等 盛りだくさんなイベントも併せて行われます。年に1回の”堺刃物まつり”です。この際、 さそい合わせて行かれ てはどうでしょうか。

堺市博物館でアルフォンス・ミュシャ展

2011年1月31日

 アルフォンス・ミュシャの生誕150年を記念して、国内最大のミュシャコレクションを所蔵する堺市は、その波乱に満ちた生涯と作品を顧みる展覧会を2月5日~3月21日に開催しようとしています。

 アルフォンス・ミュシャはチェコ人で19世紀末ヨーロッパで花開いた装飾美術のアール・ヌーボーの代表的画家である。

 特徴は、しなやかな曲線、美しい色彩でチェコやビザンチンの装飾様式のほか日本美術の要素も見えるといわれています。『明星』、『みだれ髪』を通じて日本にも影響を及ぼしたと言われ、私たちには何となくレトロな感じを与えてくれます。

 なお堺市博物館はJR阪和線 百舌鳥駅 から5分。南海バス 堺市博物館前下車 大仙公園内にあります。

タグをつける練習

2011年1月18日

記事にタグを付ける練習をしています

おでかけ応援カードで 堺を歩こう!

2011年1月8日

  堺市ではこれまで65歳以上の人の対して、毎月 5日,10日,15日,20日,25日,30日に限って、バス1回乗車に対して100円になる「おでかけ応援カード」を発行していたが、平成23年1月15日からこれに加えて市内を走るチンチン電車も乗車駅か降車駅のどちらかが堺市内であれば1回乗車が100円になる新たな制度が追加されます。 65歳より高齢のみなさんおでかけ応援カードを持って堺の街中を歩きましょう。

 街中には数多くの有名なお菓子屋さん(古くは天文元(1532)年創業:鉄砲伝来以前からの店もあります) あり、線香屋さん、昆布屋さん、全国の板さんの使う刃物の7割は堺製の刃物と言われる長い伝統をもった打刃物屋さん等があります。又市内の見物するところとして、市役所21階展望ロビー(ここからは市内はもちろん大阪平野、北摂・泉州、金剛・葛城・信貴・生駒の山々、さらには明石海峡大橋まで見えます)、南宗寺(沢庵和尚・千利休とゆかりあり)、宿院頓宮(住吉大社の御旅所)、堺刃物伝統産業会館妙国寺(蘇鉄、徳川家康:本能寺の変の時宿泊、堺事件:仏兵とのいざこざで土佐藩士切腹=慶応4)、本願寺堺別院山口家住宅(日本最古級の民家=築約390年)、鉄砲鍛冶屋敷(江戸時代初期の頃からのもの、内部には大きなふいごや作りかけの大砲・鉄砲あり=非公開)等盛り沢山。とても一日では回りきれませんので、見て回る地域や目的を決めて行かれるといいと思います。

 おでかけ応援カードの作り方は、本人であることを証明するものを持って最寄りの郵便局へ行き、用紙に必要事項に記入して発行してもいましょう。