堺の町は慶長20年(1615)の大坂夏の陣のときに、豊臣方 によって火を放たれ丸焼けになってしまいました。その後、町割奉行の手で区画整理が行われ周囲を堀と海に囲まれ、東側に寺を並べた現在の原型となる街並整理された。その後、復興が進んだ堺の街の絵図面(元禄2年(1689))が、いま大仙公園内の堺市博物館で展示されています。興味のある方ぜひ必見だと思います。縮尺300分の1のかなり大きいものだそうですよ。ポスターが手に入りましたので載せさせていただきました。
ここではいいろいろイベントも行っているそうでお近くの方時々のぞいてみてはいかがでしょう。また切れ味の落ちた包丁も伝統工芸士の方たちに新品のように研いでもらえますよ(費用1000円/1本程?)。
奈良県に住んでいた頃からアマチュア無線(通称:ハム)をやっておりグループを結成して楽しんでいる。4月に38回目の総会があり久し振りに顔を合わせて歓談した。総会は吉野町の津風呂湖温泉、総会後のイべントは同じ吉野町の割り箸と和紙の里 “国栖(くず)の里“ へ会場を移して紙漉き体験をした。この里の紙漉きの歴史は大海人皇子がこの里に滞在されたときが始まりと言われるが文書的には室町時代まで遡れるとのこと。多いときには300軒ほどあったが今は10軒ほどになってしまった。が和紙や和食が脚光を浴びる昨今、この国栖の里にも少しずつ仕事が入る様になって来た。とお世話になった植(うえ)和紙工房(吉野町南大野)の主の話。下見した4月はじめごろからでもNHK奈良の”ならナビ“や、有働由美子さんの”あさいち“でも中継がありましたし、また植和紙工房さんも何校かの学校へ紙すき実演に出かける予約が入っているそうです。最後に原料となるミツマタを栽培しているところを見せてくれました。枝分かれしているところは必ず三つに分かれているのでミツマタと言うそうです。ミツマタは山または畑で栽培され、毎年新たに伸びた新しい枝を株の部分を残して切り取り皮を剥き原料にするそうです。
神戸・垂水区にある五色塚古墳(復元)を見に行った。淡路島を望む台地の上に築かれた前方後円墳です。全長194mで、兵庫県では最大のもので、周囲を深い濠と浅い溝で二重に囲い、西側には円墳で直径70mの小壺古墳が築かれています。この五色塚古墳は全国的に見ると40番目前後の大きさですが同じ時期のものだけを見ると、奈良・平城宮跡の北方にある佐紀古墳群と肩を並べる大きさです。 4世紀の終わりごろ、この古墳に葬られた人は、明石海峡とその周辺を支配した豪族だと考えられています。(パンフレットから)
五色塚古墳へは、大阪駅から快速で約50分「垂水駅」下車、そこから徒歩約10分で到着します。帰路は10分ほど歩いて山陽電鉄「霞ヶ丘駅」へ出て明石へ。明石ではお城周辺や「魚の棚(うおんたな)」商店街を散策しJR「明石駅」から新快速で大阪へ向かった。大阪から日帰りコースで無理なく行ける良いコースでした。
写真上はパンフレットの写真。明石海峡を挟んで淡路島と神戸側そして明石海峡大橋がよく分かります。中央下部には古墳が見えます。写真下は後円部の高いところから前方部(半分ほど)と淡路島方面を望む。4km先の淡路島や明石海峡大橋が手に取るように見える。
いま世界遺産姫路城は修理中であるが、その現場を見ることができるというので行きました。天主閣がすっぽり入る被いを「天空の白鷺」と称し、その中に足場やエレベータ(8階)2機の設備があります。そして外側にはお城を描いています。高さ36~7mもあります。見学はビル(天空の白鷺)を8階まで上り、その階でガラス越しではあるが作業場を間近に直接見ることができるので迫力があります。しかしその日は残念ながら休日で作業なし日でした。2014年1月15日まで見学可能なので興味ある方は行かれては如何でしょうか。
長い間小豆島へ行きたい思っていたが、機会があり行ってきた。それは「二十四の瞳」の岬の分教場を見たかったからです。分教場の入り口すぐのところには木の下駄箱があり、木製の廊下、教室に入ると小さい二人用の木の机とイスが並んでいる。古いオルガンなどあり、床板の傷んだところはツギを当てる様に修繕されている、海岸にも近いなど、昭和46年まで使っていたそうです。私が入学した頃の小学校の教室は床に小さい穴があり落ちないように周囲に物を置いていたり、鉄製窓枠が錆びていて大力を入れないと動かず、開いたときは勢い余ってガラスが壊れた。破れたガラス窓は板を打ち付けられず新聞紙を貼るかそのまま。数十メートルで護岸がありその下は海岸・砂浜。冬の西風はまともに吹き込む。戦後間なしの日本は貧しくどこにでもあった光景かもしれません。分教場と似た環境にあり少ないあの頃の記憶がよみがえって、懐かしい限りでした。
島ではいろいろ写真を撮りましたが、珍しいと思ったものを示します。先ずは潮がひいた時だけ徒歩で島に渡れるエンゼル・ロード(土庄前島地区)。丁度引潮だったので島まで歩きました。ギネスに認定されている世界一狭い海峡「土渕海峡」。全長2500m、最大幅400m、最小幅9.93mで漁船、レジャーボート、小型船が通るそうです。水は川の様にゆるく流れていました(潮の満ち干と関係ある潮流)。そのすぐそばの土庄郵便局では外壁に沢山の切手を貼って郵便局をアピールしていました。また中山の農村歌舞伎座のすぐ山側には天皇皇后両陛下が視察に来られた千枚田がありました。このような水田は機械が入りにくいので農作業が大変ですが、このような風景は日本の山間の各地に多くある日本の原風景の一つと思います。